厠の陰翳 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

 職場の同僚と谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の話になった。同僚は谷崎が厠の風情に言及するくだりをしきりにほめて、とてもよくわかるという。
「(…)日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。」
 ぼくは、昔の汲み取り式の便所は知っているけど、谷崎が言うような風雅な厠は使ったことがない。だから、その風情もわからないのだけど、そのとき結局用を足す場所にすぎないでしょ、みたいな言い方をしたら、後味の悪い言い合いになってしまった。厠の花鳥風月みたいな言い方にいやらしさを感じたせいだけど、厠は厠だなんていうのはもっと芸がない。要はバランスであって、「花鳥風月」と「自分の体から出る物」というのは、同時に存在している。
 アイドルはトイレに行かないなんて言ったこともあった。しかし、どれだけ人間の生活様式が便利になって、自然から切り離されても、内なる自然からの欲求には逆らえない。人間の肉体は、いわば残された自然の一つで、排便は否応なくそれを意識させられる行為である。そういう意味で、厠の花鳥風月っていうのは、非常に高度な消臭作用なんだと思う。
『陰翳礼讃』について書くはずが、厠の話ばかりになってしまった。厠ついでにもう一つ。中公文庫版『陰翳礼讃』には「厠のいろいろ」という随筆も収められている。その中に紹介されているのが、二階から河原へ張り出しになっているという便所。「私の肛門から排泄される固形物は、何十尺の虚空を落下して、蝶々の翅や通行人の頭を掠めながら、糞溜へ落ちる。」厠を語って、風情から固形物まで。この幅がすごい。