あきらめきれない人々 岡本かの子『老妓抄』

 長年お座敷をつとめた老妓が、発明で一山当てたいという若い男に住む家と生活費を与え、好きなようにやってごらんという。老妓が年甲斐もなく若い男を囲っているとうわさもたつが、なぜ老妓が自分を養ってくれるのか、実際のところ、若い男にもよくわからない。
 芸妓という職業柄、技巧としての人間関係を生きてきた女が、年を取ってから生の充実を感じたいと思う。男に金を出しているのはどうもそのためらしい。しかし、生活が保証された男は、ありあまる自由な時間を手に入れたとたん、何もする気が起こらなくなってしまう。男の置かれた状況を考えると、恐ろしいような、それでいてうらやましいような何とも言えない感じがする。老妓は考える。「仕事であれ、男女の間柄であれ、混り気のない没頭した一途な姿を見たいと思う。」
 彼女のこの気持ちにうそはないと思う。しかし、没頭とか一途とかそんな状態から最も遠いところへ男を追いやっておいて、さあ、見せておくれというのもヘンな話。取りようによっては、男社会ですり減ってきた女の復讐とも考えられる。
 自分を殴った男を執念深く探し回り、復讐を果たす「越年」の主人公は言う。「私たちそんな無法な目にあって、そのまま泣き寝入りなんか出来ないわ。」フェミニズム的な視点からも読めそうなんだけど、やっぱり何かに執着する人って感じがする。壺の中に入れた手が抜けなくなっちゃって、ぎゅっと握ってるものを離せば抜けるけど、それはできないみたいな不器用さ。岡本かの子の『老妓抄』に収められた短編に共通しているのは、「あきらめきれない」という思い。「リア充」を求める気持ち? 執筆時期は昭和初期だが、今に通じる普遍的なテーマを持っている。