散歩の人生 武田泰淳『目まいのする散歩』

 この本は武田泰淳最晩年の作品で、脳卒中(?)で倒れてから、口述筆記で書かれた世にも不思議な「散歩」の記録。
 病を得てからも、泰淳は妻・百合子と明治神宮靖国神社、代々木公園などを歩いた。そんな身辺雑記風の文章から、次第に泰淳の若い頃の思い出が語られるようになり、回想録といった趣になってくる。
 しかし、目次にはすべての章に「散歩」という文字。「あぶない散歩」「いりみだれた散歩」「船の散歩」といったぐあい。それどころか、泰淳はまだ書かれない「散歩シリーズ」のタイトルを夢想さえする。いわく「歩かない散歩」「思いつめないようにしている散歩」「嘔吐しながらの散歩」…
 泰淳の晩年から、妻の百合子との出会い、さらに幼年時代まで。彼の人生をたどるこの文章に「散歩」というタイトルをつけたのは、まさに彼にとって人生そのものが「散歩」であるという認識があったのでは?
 目的のある歩みは散歩とはいわない。散歩は歩くことそれ自体に意味がある。自分の人生に「散歩」という総題を付けた泰淳。その文章が妻に書き取らせる口述筆記という形で成立したというのもできすぎた偶然だと思う(まあ、この作品自体が百合子との共作のようなものだが)。なにしろ彼の散歩は、百合子との奇妙な二人三脚だったのだから。その歩みを泰淳は次のように語り、妻に書き取らせている。
進駐軍放出物資というものが、かつてあった。女房は金魚のヒレのぴらぴらついたようなアメリカ中古服を喜んで買った。(…)赤いだんだらの金魚のようになった女房と、毛皮のチョッキを身につけた和服の私が揃って歩いていると、通りがかった学生たちが「わあ、チンドン屋が通るぞ」と、ひやかした。その一方で、女房のただごとならぬ通行を、毎日見守っている五、六歳の幼女がいた。その幼女が或る日、父親に向かって「ああいうきれいなおべべを着ている人は、お金持ちなのねえ」と感に堪えたようにいった。」(「貯金のある散歩」)
 この一節には、彼らの散歩の流儀が凝縮されていて、キラキラと光を放っている。