「愚行」の軽さ 阿部和重『シンセミア』

 1999年に連載が始まり、4年をかけて完成されたという長編小説。悪というか、人間の愚かなふるまいを書き尽くした小説という印象を持った。そして、読みだしたらやめられない。怖いのに、というか、その恐怖の魅力のようなものに取りつかれてしまう。舞台は山形県東根市神町という阿部和重が生まれた実在の町。殺人、自殺、盗撮、不倫、未成年との淫行、麻薬、脅迫、リンチ、放火…。登場人物は50人を超えるが、「まともな奴」は一人としていないといっていい。
 戦後、GHQのパン食推進の政策に乗り成長した神町の一軒のパン屋の歴史から始まる物語は、2000年夏のクライマックスへ向かって突き進む。私利私欲、権力欲、性的欲望など、様々な劣情が複雑に絡み合う物語を阿部はひどく巧みに冷静に語ってみせる。物語の舞台が山形県に実在する町の名であることもリアリティを感じさせるし、作中人物が阿部の『インディヴィジュアル・プロジェクション』を読んでいるところがあり、フィクションが現実の世界に浸食してきてるような感覚がある。
 読んでてこれほど疲れる小説もあまりないと思う。その最大の理由は、過酷な暴力の数々が、どこまでもリアリズムで書かれているということだと思う。ロリコンの若い警察官が、ラブホテルで14歳の恋人のケツをなめた後、ボーリング場で自分の顔にうんこがついていることに気がつく(それをペロリと舌で舐め取る)とか、町の不良たちがさらに過激なエロビデオを求めていたとき、いちばん若い金森という青年が「これ、フィストっす」といって一本のビデオを差し出す場面。目を背けたくなるような出来事であるにもかかわらず、作中人物は罪悪感をまったく持っていない。この「軽さ」がこの小説の怖さで、なんでかっていうと、ほんとにだめなときって、何が悪いかとか怖いかってことを何もわかってないし、実感なんかないと思うから。出来事に対するこの「軽さ」がひどく身近な感じがする。