アメリカ人は何に怯えているのか  カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』

 アメリカ文学がなぜ無垢(イノセンス)というテーマにこだわるのか、その明快な回答のひとつがカート・ヴォネガットによる『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』である。
 エリオット・ローズウォーターは、先祖が南北戦争時代に築きあげた巨万の富を相続し、現在、ローズウォーター財団総裁の地位にある。エリオットの父親は共和党の大物上院議員。つまり、エリオットは「眉を動かすだけでインディアナ州の知事になれ」たし、「いくしずくかの汗を流せば、合衆国大統領にさえなれた」かもしれない一握りのエリート。しかし、エリオットは差し出された栄光に背を向け、先祖の出身地であるインディアナ州の片田舎に引っこみ、小さな事務所を開設する。事務所の入口には次のようにある。「ローズウォーター財団 なにかお力になれることは?」
 そこで彼がしていたのは、貧しい人々の悩みを聞き、施しをすることである。忘れ去られた土地に住む、無知で無気力で、自尊心を失くした人々。そのような人々に施しをすることは、穴の開いたバケツに水を注ぐ行為にも等しい。
 彼をそのような無償の愛に貫かれた行為に駆り立てたものは、いったい何なのか。それはおそらく自分が手にしているものへの疑問である。エリオットは、なぜ自分がこんなにたくさんの財産を持っているのかわからないのだ。これは道徳的な意味での問題であるだけでなく、アイデンティティーに関わる問題でもある。不当な手段で築かれた財産を含めた自分を肯定できなければ、そこから逃げ出すか、その財産を失くしてしまうしかない。
 競争原理が基本の社会では、努力し、競争に打ち勝った者が富を得、敗者は無能で怠け者だということになる。しかし、事実は既得権益を握っている少数の人々が、少しでもそれに手を出そうとするやつがいないか抜け目なく見張っているというにすぎない。アメリカのような極端な競争社会では、多かれ少なかれ、「私」は競争相手の死によって得られたもので作られている。それを肯定するには、敗者に非があると考える以外にない。しかし、勝者はつねに自分の富は不当な手段によって得られたものだという潜在意識に怯えることになる。
 自分が今持っているもので、不当でないものなど一つもないという見方もあるかもしれない。それに対しては、こうも言うことができる。アメリカでは人が生きることに不可避な部分が露出しているのだと。そして、多くの国がグローバル・スタンダードの名のもとアメリカ化している現在、ローズウォーターさんの怯えは、現代人の怯えでもある。カート・ヴォネガットはローズウォーターという無垢の存在を通じて、現代人の潜在的な怯えを戯画化しているのである。
 ぼくにはハリウッド映画でくりかえし地球を襲う宇宙人が、借金の取り立て屋に見えてしかたがない。