流れる。生きる。 椎名誠『水域』

 椎名誠が1990年に発表した「SF三部作」(『アド・バード』『水域』『武装島田倉庫』)の第二作。三部作とはいっても、なんらかの破局が訪れた後の終末的な雰囲気を共有している程度で、それぞれ独立した作品である。文庫の解説によれば、高橋源一郎はこの三部作の完結を「文学界における一九九〇年の三大事件」の一つと呼んだそうだ。
 ハルは真ん中に小さな小屋のある粗末な舟で水流を漂う生活を送っている。どうも地球規模の気候変動か何かで、陸地という陸地が水に覆われてしまったようなのだ。いつどのようにしてこんなことになってしまったのか、小説は何も説明しない。読者は過去も未来もはっきりしない、今しかないような世界にいきなり投げ込まれる。そのかわりに、ハルの目の前に展開する世界は、独特の言語感覚に支えられた奇妙なリアリティを持っている。
「ハウスのまん中であぐらをかいて、獲ったばかりの小魚を煮て食べた。小魚はイトナギや龍巻魚(タツマキウオ)の幼魚のほかに乱歯(カミツキウオ)や朝崩魚(ヒグサリ)などの稚魚がいくつもまじっていた。小屋の天井から吊るした火壺に入れる堅く乾いた蠟菱(クロネビ)の実がもう残り少なくなっていることに気づき(…)」
『水域』のリアリティの半分は、この細部へのこだわりにある。しかし、長編小説である『水域』にはストーリーが必要で、その点が水流にのって筏で漂うという設定と矛盾してしまう。ハルが流れ、漂いながらする冒険がどうしてもご都合主義的に見えてしまうのは、どうしようもないのかもしれない。(その点、連作短編という形をとった『武装島田倉庫』はその矛盾が解決されている。)現実逃避的な気分で手に取った『水域』は、未知の細部と既知の物語という点で、ぼくの欲求を半分満たしてくれた。