因果はめぐる 三遊亭円朝『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』

「今日より怪談のお話を申し上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございません、と申すものは、幽霊と云ふものは無い、全く神経病だと云ふことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌ひなさる事でございます(…)昔、幽霊というふものが有ると私共も存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おゝ怖い、変な物、ありやア幽霊ぢやないかと驚きましたが、只今では幽霊がないものと諦めましたから、頓と怖い事はございません。(…)現在開けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアツといつて尻餅をつくのは、やつぱり神経が些と怪しいのでございませう」
 いつまでも引用していたい名調子。三遊亭円朝は、怪談話を得意とした明治期の落語家で、多くの怪談や人情話を創作した。当時確立されたばかりの速記の技術により、名人の業績が今に残っている。『真景累ヶ淵』は岩波文庫版で300ページもある長編落語で、円朝はこれをだいたい20回ぐらいに分けて演じてるが、終盤病気で高座を休むこともあったり、二葉亭四迷が『浮雲』を書く際に参考にしたという速記録は、なかなか臨場感がある。
真景累ヶ淵』の筋は、大きく3つに分けることができる。まず、鍼医の皆川宗悦が深見新左衛門という侍に斬殺され、残された宗悦の二人の娘、豊志賀とお園のあわれな運命を語るくだり。次に、豊志賀と男女の仲にあった新左衛門の次男新吉がお久と下総国羽生村に駆け落ちしたが、お久を誤って殺してしまう。新吉は羽生村で出会ったお累と世帯をもつが、名主の妾お賎と男女の仲になり悪事を働くくだり。最後は、お隅をめぐる争いで、剣術家安田一角に殺された名主の息子惣次郎の仇討ちを、弟惣吉が花車という力士の助太刀を得て果たすくだり。
真景累ヶ淵』のおもしろさは、描写の的確さと作中の出来事や人物をつなげる因果の糸にある。例えば、宗悦殺しの場面。
「新「ナニ不埒な事を。と立ち上らうとして、よろける途端に刀掛の刀に手がかゝると、切る気ではありませんが、無我夢中でスラリと引抜き、新「この糞たはけめがと浴びせかけましたから、肩先深く切込みました」
 これが因果の始まりで、作中人物は、つぎつぎ刃物に切られて、死んでいく。まるで刃物が意思を持っているかのような惨劇がくりかえされる。この効果が怪談としての恐怖感を徐々に増していくのである。そういう意味で、同時代の泉鏡花の幽霊譚のように怪異の刃がクライマックスでぎらりと光を放つのではなく、ある種のパターン化された死に様が、大小の波のようにくりかえしやってくるという構成になっている。とくに女は誰もが、いばわ無名の殺された女たちの影を背負っている。お園は、新五郎に襲われたとき、藁の下に隠れていた押切で、身体を切り刻まれ息絶えるし、嫉妬に身を焦がしてのちに幽霊としてたたる豊志賀の目の下には、腫れ物ができていたが、その徴は、熱湯を浴びたお累や石で顔を打ちつけられたお賎にも現れる。
 また、新吉とお賎の名主殺しを見破る場面、花車が富五郎と安田一角の惣次郎殺しのトリックを推理する場面はまるでサスペンスドラマを見ているようだし、新五郎召捕りの迫力、花車と安田一角の最初の対決や惣吉と花車による仇討ち成就の場面は、活劇としてもおもしろい。落語としてはあまりにも長くいろんな要素が盛りだくさんの『真景累ヶ淵』は、目の肥えた現代のエンタメ小説好きにこそ読んでほしい読み物である。