分裂する女 ホーソーン『緋文字』

 

緋文字 (新潮文庫)

緋文字 (新潮文庫)

 

 (ネタバレ)

  暗雲が垂れこめたような重苦しい物語だった。しかし、雲のすきまからさっと陽がさす瞬間があって、それがホーソーンの『緋文字』という「罪」を追求する小説に尽きない謎と魅力をもたらしている。

 舞台は17世紀、厳格なピューリタニズムが支配的なニューイングランド。若く美しい女性ヘスタ・プリンは姦淫の罪により群衆の前に引き出され、生涯胸にその徴である緋色の文字「A」をつけることを言い渡された。ヘスタ・プリンは罰を受け入れたが、胸に抱く女児の父親が誰かは決して明かそうとはしなかった。

 ヘスタ・プリンがさらし者になっている町の広場には、あと二人重要な登場人物がそれぞれ別の場所から彼女を見ていた。一人はヘスタが所属する教区の若き牧師ディムズデイルで、教会のバルコニーから彼女に私生児の父親が誰であるか問う役割を負わされ、もう一人は物見高い群衆に交じって、彼女を見つめる年の離れたヘスタの元夫で医師のチリングワスだ。

 ヘスタ、ディムズデイル、チリングワスの3人は、それぞれ「罪」を生きることを運命づけられた人間である。へスタが生涯姦淫の罪を表す「A」の緋文字をつけることによって、その罪を常に人目にさらすことになったのに対して、牧師ディムズデイルは己の罪を隠匿したことによる苦悩にさいなまれることになる。そして、チリングワスはかつての妻を寝取られたことに対する嫉妬から執拗な復讐心の虜となる。

 へスタは町外れの小屋で一人暮らしを始めた。孤独な生活だったが、彼女は刺繍の腕が優れていて、それで母子の生活の糧を得ることができた。へスタの娘の名はパールという。最初に、この小説には陽光のさす瞬間があると書いたが、その陽光というのはパールのことだ。パールは愛らしく、活発である一方で、気まぐれで衝動的なところがあり、ときに母親のへスタが何を言っても無駄だと感じるほど、意志の疎通を阻まれることがあった。

「へスタはこんな時パールが人間の子供かどうかと疑をはさまずにはおれなかった。この田舎家の床でしばらく気まぐれな遊びをした後で、あざ笑いを浮かべてすいと飛び去ってしまう幻の妖精ではないかと思われた」

 また、高名な老牧師にお前は誰に作られたかと問われたパールは「天の父によって」と答えるべきところを、生来のつむじ曲がりを発揮し「自分は作ったりされたのではなく、牢屋の入り口に咲いていた野ばらの株からお母さんが摘んだ」と答えて、そこに居合わせた一同を仰天させた。

 そんなパールに陽光が降り注ぐ。森の場面では文字通りパールにだけ木漏れ日がさすが、へスタがやって来るとすっと日が陰ってしまう。そして、パールとへスタはいつも一緒にいる。このパールという存在こそ、『緋文字』最大の魅力であり、謎だと言っていいと思う。

 へスタを悩ませる小妖精はまるでへスタの罪を擬人化したかのような存在だなと思いながら読んだが(その意味でパールの存在にはホラーのような感触がある)、『緋文字』を最後まで読んで、そうではないと思い直した。パールはヘスタ・プリンの分身である。そして、パールは自らの境遇に納得がいかないヘスタ・プリンなのである。

 もちろん、これはぼく個人の解釈だ。しかし、ヘスタ・プリンがいったい何をしたというのだろう。厳格なピューリタン社会の掟に背いたことは事実だとしても、愛する人と結ばれることが悪いことだとヘスタ・プリン自身が納得していないのである。それはへスタが牧師ディムズデイルと森の中で出会った際の対話にも表れている。

「私たちはこの世で一番の罪人ではないよ、へスタ。この堕落した牧師よりも悪い者がいる! あの老人の復讐は私の罪よりも邪悪だ。あの男は、冷血にも、神聖な人間の心を犯したのだよ。あなたと私はね、へスタ、決してそんなことをしなかった!」

「一度だって、全然!」「私たちのしたことはそれなりに神聖なものがありました」

 苦しむ女はへスタとパールに分裂する。一方で社会的制裁を甘受しながら、胸の文字は何? どうして? とパールは問いかけるのである。へスタの肉体から魂が抜け出たようなパールの存在は、女であることそのものの受難を物語っているかのようだ。

 牧師とヘスタ・プリンはニューイングランドから逃げ出す計画を企てる。しかし、社会的文化的文脈に絡めとられている二人はそこから逃れることはできなかった。そもそも生きるとは、罪を背負うことだとすれば、「逃げる」ことなど到底不可能だったのかもしれない。へスタの粗末な墓石にまで「A」の文字を刻ませたホーソーンは、パールにはニューイングランドを脱出させ、幸せな家庭を持たせた。そこにわずかな「救い」というかパラレルワールド的な可能性を見ずにはいられない。