「いい子」の正体 青木淳悟『いい子は家で』

 こわっ! っていうのが最初の感想。じゃ、いったい何がこわいのか、それを説明するのは、難しい。宮内孝裕と名乗る次男の視点から、たんたんと家族の話が語られる。会社勤めを辞めてふたたび同居するようになった長男。家事を通じて家族を縛る母親。母親はいつも次男の靴のことばかり言う。「靴ひもの交差のさせ方が変」「ひものあまりが長くて危ない」「外はぜんぜん汚れてないのに中が相当臭くなってる」「出かけるんなら洗っちゃうし、出かけないんなら洗わない」母親の発言は靴から息子の外出へとビミョーにシフトしてくる。定年退職してうちにいる父親は毎日テレビばかり見ている。次男はというと、なんとなく自転車でふらふらと出かけたり、電車で小一時間という都内の女のマンションに通ったりしている。
「孝裕は両隣りや向かいや斜向かいなどを意識してさも大学院生か資格試験勉強中の身だとでもいいたげな四角いカバンを肩にかけ、自転車のペダルをそっとこぎ出す。(…)勤めに出ているようには見えないまでも、なんらかの教育機関に通っている風には見えないものか」
 こいつ、絶対に自分はニートだとは言わない。このいらだたしさとも気持ち悪さともつかない気持ちを喚起する文体は、孝裕の絶対に現実を直視しない、見たくないものは見ない生き方に由来する。近所の目を気にし、母親に気を遣い、いっちょまえに年金しか収入のない家計の心配などしてみせる、ほんまきっしょいやつなのである。とはいえ、彼らも外から見れば、どこにでもいるフツーの家族ってことになるのだろう。
 孝裕は女のマンションで何かおそろしいことをやった。しかし、彼にはそれを直視することはできない。孝裕が視点人物である以上、出来事がぼやかされてしまうのはしかたがない。孝裕は自分の悪を自覚できないやつなのだ。青木淳悟は、「外は汚れてないのに中が相当臭くなってる」ような家族の肖像を容赦なく描き出した。