浮かび上がる古層性 三浦佑之『古事記講義』

 古老が語るというスタイルの『口語訳 古事記』が話題になった三浦佑之による古事記論。「神話とは何か」「英雄叙事詩は存在したか」「英雄たちの物語」「出雲神話と出雲世界」という四つのテーマから古事記の神話や伝承を考察する。本書は「古事記という固有のテキストのなかに閉じこもろうとするものではなく、古事記を外に開いてゆこうとする試み」であり、書かれたものとしての古事記から、その背後に広がる広大な古層の世界に迫ろうとする。
日本書紀』がアマテラスを始祖神とする天皇家の直系的な血統が重視される古代律令国家の正史であるのに対して、『古事記』には『日本書紀』とは異なる記述法や内容によって「主流」からはずれた歴史書という性格が色濃く表れているという。オホナムヂを主人公とする「出雲神話」は『古事記』にしかないというのも今回初めて知った。
 おもしろかったのは、文字によって記録されることの両義性。神話や伝承を文字によって記述していくことによって、永続的に残ることになる反面、文字化される以前に口承によって保たれていた多様性はしだいに失われてしまう。ヤチコホ神の求婚物語を通して、歌謡劇や語りの芸能者の存在した可能性を探ったり、ヤマトタケルの物語を王権から逸脱する英雄として捉え、語られた英雄叙事詩に思いをはせたりする。『古事記』という書物は、書かれたものでありながら、そこに書かれなかったものたちの世界へ読者を誘い込む魅力があるようだ。
 ぼくのように神話や古代史をろくに知らない読者でも、丁寧な説明と平易な語り口で十分楽しめた。著者も前書きで指摘しているように、最近の『古事記』ブームには日本の保守化傾向とも関係があるかもしれないが、『古事記』が持つ多層性は、天皇を中心としたかつての歴史観に取り込まれるものではない。黄泉の国から逃げ帰ったイザナキはいう。
「汝よ、葦原の中つ国に生きるところの、命ある青人草が、苦しみの瀬に落ちて患い悩む時に、どうか助けてやってくれ。」(三浦佑之訳)
 三浦佑之は「青人草」を「青々とした人である草」と解釈している。ここには人と草を同格に見、いつか必ず死を迎える人の運命を説く古代人の認識がある。
人は草でしかない。万世一系なんて無理しなくても、それでいいと思う。