ペダントリーの織物 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』

「黒死館」と呼ばれる秘密めいた洋館で起こる連続殺人事件とくれば、典型的な推理小説を想像してしまうのだが、そこは夢野久作の『ドグラ・マグラ中井英夫『虚無への供物』と並びミステリ三大奇書の一つと称されるだけあって、ひとたび本のページをめくると、そこには異様な光景が広がっている。ぼくが言いたいのは、小説のストーリーのことではなく、あくまで見た目、もっと正確に言えば、字面のことである。
 この正月に年賀状をくれた友達が偶然にも「いまさら『黒死館』リベンジ中、はたして今度こそ読了なるか」と書いていたけど、彼女が読んでいるのは「はるか昔に古本屋で手に入れた」「旧かな旧漢字バージョン」言うまでもなく、『黒死館』の字面パワーはさらに強力なものになる。
黒死館殺人事件』で小栗虫太郎が何を書こうとしたのか、これを一言で説明するのは難しいが、河出文庫版には澁澤龍彦と細谷正充の解説がついていて、両者に一致しているのは、小栗虫太郎が書きたかったのはいわゆる探偵小説ではないという点である。細谷は甲賀三郎の「『黒死館殺人事件』一篇も彼が探偵小説を書くつもりで書いたのではないかもしれない」という評を引いているし、澁澤に至っては、「『黒死館』では、トリックはあくまで装飾的かつ抽象的であり、読者をして謎解きの興味へ赴かしめる要素はほとんどない」として、解説の中で真犯人の名を明かすことまでしている。
 探偵役の法水麟太郎は、驚嘆すべき該博を事件解決のためというより、それを披露し、講釈するために使っているとしか思えない。ゴールが決まったと思った瞬間、オフサイドの笛が鳴り響くそんな迂回がえんえん繰り返される、それが黒死館という迷宮なのである。当然、謎解きと真犯人というゴールよりそれを迂回し回避する行為そのものを描くこと、そこに小栗虫太郎の関心があったと言える。
 医学、文学、心理学、神秘学などの分野から引かれるおびただしい書物の名や固有名、暗号、アナグラムなどの言葉遊び、作中人物が暗唱する数々の詩、さらには次々に登場する自動人形、古代時計コレクション、秘蔵の武具・武器、鐘鳴器といった小道具の数々は、生涯夢幻の世界を描いてきた澁澤を熱狂させるのもうなずける。意味を超えた遊戯的世界、澁澤は小栗虫太郎を「根っからのホモ・ルーデンス」と呼び、「彼の作品に思想なんぞを求めるのは馬鹿げていよう。神田の生まれである虫太郎は、夢野久作のような田舎者とは、おのずから人間の出来が違うのである」と小栗虫太郎夢野久作を対比的に述べている。確かに『ドグラ・マグラ』は究極的には父と子の物語である。「田舎者」云々は別にして、『ドグラ・マグラ』に描かれる罪の問題は読者に重くのしかかる。こうした重さの対極に虫太郎の世界がある。
 おもしろいのは『黒死館殺人事件』もまた父殺しの物語だということだ。とはいえ、それは極めて動機の希薄な殺人として描かれることにより、「遊戯的感情」による殺人に反転する。それが意味より遊戯を優先させる物語である以上、それは字面の奇観とでもいうしかない一種の織物のようなものだ。
「蠟質撓拗症!?」「莫迦な、君の詭弁も、度外れると滑稽になる。法水君、あれは稀病中の稀病なんだぜ」
こうした個所に出くわすたび、たとえ読み通せなくとも『黒死館』は旧かな旧漢字で読むのが正解なんだと思うけど、何分田舎者なもんでゴールをめざしちゃうわけ。