引き裂かれた世界 イタロ・カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』

(ネタバレ)カルヴィーノの代表作は? と聞かれると、答えに窮する人も、好きな作品は? と言われると、寓話的でファンタジー色の濃い「我々の祖先三部作」シリーズ、中でも、エスカルゴを食べることを拒否して木に登ったコジモの生涯を描く『木のぼり男爵』を挙げる人が多いのではないだろうか。本書『まっぷたつの子爵』はシリーズ第一作にあたる(といっても、個々に独立した作品だが)。
 若き子爵メダルドは、初めて参加した戦争で正面から砲弾を浴び、体を縦にまっぷたつにされてしまう。故郷の城に帰還したメダルドは、哀れにも右半身のみという姿になっていた。しかし、変わったのは見た目だけではなかった。半身のメダルドは、極端な悪人になっていたのだ。領民たちは半身となったメダルドの悪行におびえる日々を送ることになる。
 メダルドの悪行というのは、行く先々で目に留まった動植物をまっぷたつにするというものから、夜の闇に紛れての放火、気に入らない者はしばり首などなど、数え上げたらきりがない。腕のいい職人ピエトロキョード親方は、さらし首台や拷問装置を作らされ、医者のトレロニー博士は、子爵の馬の蹄の音が聞こえるが早いか、すばやく身を隠してしまう。唯一、半身のメダルドに苦言を呈してきた乳母のセバスティアーナは、らい病患者の部落に追いやられてしまう。
 そんなとき、メダルドが善人になったといううわさが領民の間に広がるが、それは、失われたと思われていたメダルドの右半身だった。そのうち右半身は極端な善人として「善半」、左半身は「悪半」と呼ばれるようになる…。こういう寓話的な小説は、読んでいるときは楽しいが、いざそれについて何か書こうとすると単なる意味づけを行っているような気がして、とたんに物語の輝きを失ってしまう。わくわくしたのは(というと語弊があるが)、「悪半」が悪行の限りを尽くすところだ。こうした善と悪の極端な偏りはおくとして、そもそも引き裂かれていない者がこの世にいるだろうか。メダルドの甥にあたる少年で語り手の「ぼく」は、半身になったメダルドを目の当たりにして、「みながまっぷたつの姿を宿してい」ることに気がつく。
 物語は民話の型通りに「結婚」(=「統合」二重の意味で)という語りで終わるが、もちろんこれは現代文学であり、中世の民話ではないので、幸せな結婚、めでたしめでたしという結末は、あくまで仮のものだという但し書きを付けることをカルヴィーノは忘れない。
「子爵さえ完全にかえれば、すばらしく幸福な時代がひらかれるものと、ぼくたちは決めてかかっていたのかもしれない。しかし、当然のことながら、世界じゅうの人びとが完全なものになるためには、ひとりの完全な子爵でたりるはずはなかった」物語は次のような言葉で幕を閉じる。「そして、責任と鬼火に満ちたこの世界に、ここに、ぼくは残されてしまった」