旅の気分 アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』

インドで行方不明になった友人を探すためにボンベイマドラス、ゴアという3都市をめぐる「僕」の物語。
実在するホテル、鉄道・バス路線、団体などが登場し、風変わりな旅行記としても読めますが、旅先のディープな人々や体験を読んでいるうちに物語はしだいに不思議な陰影を帯びていきます。
「僕」の友人を探す旅は、同時に「僕」の深層への旅、忘れかけている自分を探す旅でもあります。
でも、最後まで読んでも「僕」はほんとうの自分を発見するわけではありません。読者は「僕」といっしょにインドを旅しながら、主人公のインド旅行が、まるで自分の旅行であるかのような気分になり、自分の人生であるかのような錯覚に陥るのです。
ある年齢を過ぎると自分の時間が一方方向に流れるだけでなく、過ぎ去った時間がよみがえるもう一つの流れがあるんだと信じたくなりますが、旅とはそういう時間の流れを実感する機会ではないでしょうか。
そのなかには苦い後悔の気分がいくぶん混じってもいます。
『インド夜想曲』はそんな旅独特の気分を再現しています。