破局という夢を見る少女 小川洋子 『ホテル・アイリス』

 引き潮の時間だけ姿を現す城壁の遺跡が名所となっている海辺のリゾート地。海岸通りのはずれに立つホテル、アイリスは名前こそ美しいが、古びて薄汚れた安ホテル。
 17歳の美少女マリは高校へも行かず、母親の経営するホテルを手伝っている。のちにマリの「恋人」になる初老の男と出会うのは、男が娼婦を買って、そのホテルで一夜を過ごそうとした日のことだった…
 てな具合に『ホテル・アイリス』はお芝居の書き割りのような背景と道具立てに彩られているが、そういう作り物めいた感じが、この小説では小川洋子のどことなくぎこちない文体とあいまって、ぴたりとハマっている。厳しい母親のもとで、一人のボーイフレンドも持ったことがなかった少女が、みすぼらしい初老の男に惹かれるのは、男がホテルで娼婦に発した一言「黙れ売女」をもう一度聞きたいという一心からだった。
「こんな美しい響きを持つ命令を聞いたことがない、とわたしは思った。冷静で、堂々として、ゆるぎがない」
 そして、少女と男は、離れ島にある男の住まいで秘密の関係を結ぶことになる。SMというものが加虐と被虐の役割を固定化させた男女関係だとすれば、やはりそこにはいつか訪れる破局が織り込まれていると言えるのではないだろうか。というか、いつかやってくる破局を夢想するからこそ、SMという関係性に没頭できるのかも。『ホテル・アイリス』は小川洋子のフェティッシュな世界全開で、素直に楽しめる一冊でした。