男? 女? いいえ、詩人です(奇妙な伝記その2) ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』

 メキシコ独立のために戦った実在の修道士セルバンド師の生涯を描く『めくるめく世界』の中で、レイナルド・アレナスは、ロンドンを訪れたセルバンドとオーランドーとの出会いを描いている。当時女性だったオーランドーはセルバンドに一目ぼれし、宮廷人や革命家に引き合わせるなどしている。
 そのオーランドーは、ヴァージニア・ウルフの創作。アレナスは先行する奇妙な伝記へのオマージュとして、自作へオーランドーの登場を願ったらしい。『めくるめく世界』もそうとう変な話なんだけど、ウルフの『オーランドー』も負けてはいない。
 由緒正しい英国貴族の家系に生を受けた美少年オーランドー。エリザベス女王の寵愛を受けるが、恋愛スキャンダルがもとで領地の屋敷にこもりがちに。その後、トルコ大使に任命され、トルコにて女に変身。やがてロンドンに戻ったオーランドーはロンドンの社交界に出入りする日々を送る。時はあっという間に過ぎ去り、気が付くともう20世紀。オーランドーが生まれて三世紀半、彼というか、彼女はもう36歳になっていた。
 この自由すぎる『オーランドー』という伝記は、性からも、時間からも解放されているのである。男性から女性への変身について、ウルフは次のようにいう。
「オーランドー自身が変わったから、女の服と女であることを選ぶようになったのだ。大ていの人はたとえそういうことがあってもはっきりと表明しないものなのに、彼女は生まれつき率直な人柄なので、これを人一倍大っぴらに表したのであろう。」
 このような人物が「一人」である理由はあるのだろうか。事実、オーランドーには複数のモデルの存在が確認されているようだし、中世から続くという一族の歴史をオーランドーが象徴しているのだとしたら、オーランドーその人のアイデンティティは何に求めたらいいのだろうか。
 その答えが「詩」である。オーランドーはいつも自作の「樫の木」という詩を肌身離さず持ち歩いている。ヴァージニア・ウルフといえば、「意識の流れ」の手法を駆使した『ダロウェイ夫人』や『灯台へ』などで知られている。その手法は予定調和的な小説世界から離れ、人の内面をありのまま描くために採用されたもので、「感じる人」オーランドーは、ウルフの分身でもあると言えそうだ。
ナチュラル・ウーマン』のレビューの中で、作中人物を「性的マイノリティ」と書いたが、『オーランドー』を読めば、「マイノリティじゃないかも」どころか、そのような考え方自体が無効であるという気がしてくる。『オーランドー』には、ウルフの小説が持つ、瞬間を定着させたような新鮮さの秘密が、大胆な手法で種明かしされている。