高らかで繊細な文学宣言 ウラジーミル・ナボコフ『賜物』

 

賜物〈上〉 (福武文庫)

賜物〈上〉 (福武文庫)

 

   革命により祖国ロシアを追われ、ベルリンで暮らす文学青年フョードルが作家として独り立ちするまでを描く自伝的長編小説。ナボコフの「はしがき」によれば、文学や蝶類に興味持ち、1920年代のベルリンで暮らすなどいくつもの共通点があるフョードルと作者ナボコフだが、だからといって同一視されても困るという。

 確かにこの小説は歴史的事実とフィクションが、現実と幻想が入り乱れる作品であり、ナボコフの言葉通りの意味での「自伝」ではない。とはいえ、帝政ロシアの名門貴族の家系に生まれたナボコフがフョードルにその思いを託して幼少期の思い出やベルリンでの不遇の日々を、あるいは、文学への情熱を語るとき、『賜物』は作家ナボコフの半生をその精神世界まで含めて描こうとした試みだと思わされる。

『賜物』はリアリズム小説ではない。様々な文学的技法が駆使されたモダニズム小説である。写実的な描写から始まる『賜物』は、いつの間にか、それがごく自然なことであるかのようにフョードルの精神世界が現実に並置される。例えば、亡命ロシア人の集まるサロンで、自殺した詩人がソファに腰かけている。その詩人が見えているのはフョードルだけのようだが、その筆致はあくまでさりげない。他にも作家志望のフョードルがライバル視する詩人との対話。彼らは自身の文学観に関する熱い論争をくり広げるが、読み進むうち、それらはすべてフョードルの自己内対話だったことがわかる。

 このように『賜物』は一見リアリズム小説のように見えるが、実はフョードルの外界と精神世界を自在に行き来する野心的な企みによって書かれている。これは単なる技法ではなく、この世界に生まれて生きることの不条理(投げ出された感じ)を、生の諸相をそのまま描こうとする試みだろう。特にフョードルは革命により故国ロシアを追われた身、いわば楽園からの追放を受けた身なのであり、『賜物』の多くの部分がフョードルの幼少期の思い出(この辺はプルーストのよう)や偉大な旅行者であり昆虫学者でもある父親のことに割かれているのは当然のことかもしれない。追放されたからこそ、ロシアの楽園化が起こっているとも言える。

『賜物』に限ったことではないが、ナボコフの小説を読んでいてハッとさせられるのは、超自然的な能力が描かれていたり、何気ない光景が一種の暗号のように描かれたりすることだ。例を挙げると、病気で屋敷に寝ていた少年フョードルの幻視(お母様の買い物の一部始終を見る)とか、フョードルのアパート近くにある通りの塀の奇妙な描写などだ。その塀はかつて旅回りのサーカス小屋を取り囲んでいた塀だったらしいが、今はいったん取り壊された後、かつての順序を無視して別の場所で再び塀として並べられている。「縞馬の脚があるかと思えば、次には虎の背中があり…」といった具合。

 本来は秩序立てられていたものが、今やばらばらに並んでいる。しかし、ナボコフは次のように書く。

「だが夜になると、その絵もほとんど見分けがつかない。そして、木の葉の大きな影(近くに街灯があった)が、完璧に論理的に、完璧に秩序正しくその塀の上に落ちていた――それは一種の償いだった」(第三章・大津栄一郎訳)

『賜物』という長編の中では、この一節は取り立てて言うほどのこともない夜の描写なのかもしれない。しかし、ぼくはこの一節を読みながら、『賜物(The Gift)』というタイトルの意味に思い至った。天から授かったもろもろ、それは縞馬の脚や虎の背中のように無秩序でときに暴力的であるかもしれないが―大樹の影が落ちかかるとき、完璧になる一瞬がある―そういうもろもろをありのまま受け入れて生きるという宣言のように思えたのだ。

『賜物』全五章のうち、第四章はそっくりフョードルが書いた本『チェルヌイシェフスキーの生涯』に当てられている。ストーリーはいったん中断され、19世紀の革命思想家、経済学者であるチェルヌイシェフスキーの伝記が語られるのだが、チェルヌイシェフスキーについて何も知らず、時系列に沿って書かれているわけでもない伝記部分は正直読み通すのが辛かった。福武文庫の大津栄一郎による「訳者あとがき」によると、第四章は雑誌には掲載されなかったという。『賜物』において異質な一章である。とはいえ、その著作に関する批評、酷評も含めてすべてナボコフの創作だったというから、メタフィクション的な手法を好むナボコフらしい一章と言える。

 第五章における恋人たち(フョードルとジーナ)の語らいはこれから始まる人生への期待と不安に満ちていて胸を打つ。

「ぼくが言ってるのは、いわば、君を愛しているという一種の宣言なんだよ」

「〈一種の〉では駄目よ。あなたといっしょになると、とても不幸になる気がときどきするわ。でも、もう、構わない。覚悟はできたわ」

 宣言というなら、『賜物』という小説そのものが、若きナボコフのさまざまな企みに充ちた高らかな文学的宣言の書だと言えるだろう。