キャラと才能の転生 佐藤友哉『転生! 太宰治 転生して、すみません』
1948年、愛人とともに玉川上水に入水したはずの太宰治がなぜか2017年の現代に転生し、数々の騒動を巻き起こすという奇想天外なお話ながら、「キャラ」を生きる術としていた太宰の新しさを浮き彫りにするとともに、「キャラ化」した現代社会への批評性をあわせもつスリリングな小説。
太宰治の文学について考えるとき、ぼくは「キャラ」と「器」というキーワードを思い浮かべる。前者は『人間失格』などに代表されるようなキャラ化された自己を描く作品。後者は『お伽草子』などに代表されるような既成の物語を換骨奪胎して、自分の物語を自在に作り上げる作品。後者の場合、『御伽草子』がいわば器の役割を果たしている。
あえて好みを言うなら、ぼくは器系が好きなのだが、本書のように太宰その人が現代に転生するという設定なら当然太宰の先進性の証でもある「キャラ」を焦点に据えたものになるだろう。偶然知り合った地下アイドルJK乃々夏に小説を書かせ、自身がとれなかった芥川賞を受賞させることで、自分を蔑ろにしてきた文壇に復讐を果たそうとする。
手始めに太宰が始めたのは『文系地下JKアイドルののたん日記』を全面的に書き換えることだった。そのブログは「自分の魅力がわかってない」「自己演出がやれてない」
なまじ教養がある乃々夏は整ってはいるが、当たり障りのない文章しか書いてなかった。ブログタイトルは『地下アイドルで、すみません ののたんオフィシャルブログ』に変更。内容を一新されたののたんのブログをちょっとだけ引用すると…
「私アイドルだけど恥ずかしくてたまらぬ/何さアイドルって、実態/地下アイドルなの私/アンダーグラウンド。もぐらの巣窟。地下帝国。うようよいっぱい。でもそこには、ろくなアイドルがいないよ(…)」
すべての物書き志望者は、この戦略を少なくとも頭の片隅に置いておくべきだ。読者が何を「おもしろい」と思うのか、サービス精神、キャラ立ち、文体、辛口なことば。この太宰による乃々夏への文章指南は、太宰の芥川賞授賞式会場での演説とともにハイライトの一つになっている。また、中年男性が若い女性に教育を施すという構図は映画『マイ・フェア・レディ』の原作でバーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』などに見られる典型的なもの。転生という奇想天外な設定と同時に、手堅く型を踏まえているのも本書の特徴。
書き直されたものだけを見ていると、ののたんのブログは簡単そうに見えるかもしれないが、オッと人目を引き、楽しませる文章を書くというのは、結局才能の成せる技なのだ。このブログも始めて久しいが、あまり読まれていない。タイトルを変えてみるだけでも違うのかもしれない。それはわかるが、いいタイトル思いつかないもんなあ。『読書ブログで、すみません。とらおの感想だぞ』