死にかたカタログ ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』

 池内紀訳の『ブリキの太鼓』が出てる! ここ10年ぐらい、いろんな作品の新訳ラッシュ。新訳がいいとはかぎらないけど、集英社文庫版の翻訳、いまいちだったしなあ。
 何年か前に『考える人』という雑誌で「海外の長編小説ベスト100」という特集をやってて、有名な作家とかにもアンケートしてたんですが、小川洋子が『ブリキの太鼓』をマイベスト10の1位にしてました。「大きくなりたくない人(大人になりたくない人とは違う)」という注釈が入っていて、なるほどなあ思いました。確かに、『ブリキの太鼓』を大人になりたくない人という視点で読んじゃうとわけがわからなくなる。
 筒井康隆に「死にかた」という短編があって、ちょー怖い。あまりにこわいので、『バブリング創世記』は売っちゃった(今は絶版?)。『ブリキの太鼓』を読んで、「死にかた」を思い出した。登場人物がつぎつぎに死んでいく。ただ死ぬだけじゃなくて、おもしろい死に方をする。気が狂ったように魚を食べ続ける母親、木造の美少女像とエッチを試みる守衛…。
 3歳で自ら成長をやめたオスカル。身長94センチの視点で、太鼓のリズムにのせて激動の時代を語る。金切声でガラスを割り、地元の不良少年のリーダーになり、小人の楽団に入って戦地を慰問し、戦後は太鼓のミュージシャンになったりする。子供の視点から、傍観者として歴史を語る小説じゃない。全体を統一するような一定のトーンはなくて、いや、一定のトーンがないってことが、全体の統一感を作っているんですが、重いとか、軽いとか、泣くところなのか、笑うところなのか、そういうのがわからない。
 この統一感のなさというか、猥雑な感じがパワーを生み、圧倒的な歴史的事実に拮抗している。文庫解説で翻訳者は川村二郎の言葉を引いている。「さまざまな奇矯なイメージの、それぞれに寓意をはらんでいるようないないような曖昧さが、時として読者に、木しか見えない森の中にさまよい入ったような昏迷を味わわせる」「それにもかかわらず、森は存在しているのだ」。うまいこというよね。