宇宙を飛ぶかもめ 黒川創『かもめの日』

「ヤー・チャイカ
 ロシア語で「わたしはかもめ」という意味だそう。1963年6月、女性初の宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワが地球を47周した宇宙船から地球との交信の際、何度も口にしたことばだという。「かもめ」は彼女に与えられたコードネーム。「こちらはかもめ。万事快調」といったところ?
 有人宇宙飛行の打ち上げは、国家の威信をかけた大事業。そんな晴れがましさとは裏腹に、一説によると彼女は恐怖感とひどい「宇宙酔い」のせいで軽いパニック状態に陥り、とめどもなく「わたしはかもめ」と繰り返したんだとか。もちろん、真偽のほどはさだかではない。
 黒川創の『かもめの日』は、このような高揚感と不安に包まれたエピソードによって幕を開ける。FMラジオのパーソナリティ、AD、フリーアナウンサー、小説家など東京に暮らすさまざまな人々のエピソードが絡まり合いながら展開する物語。それぞれの登場人物の関係が少しずつ明らかになり、しだいに、全体として複雑な人間模様を描き出す。
 この小説がおもしろいのは、登場人物がこころに抱える思いの一つひとつを丁寧に描きながら、同時に「都市」とか「社会」といったものの全体像を俯瞰する視点、いわば「かもめの目」を持っていること。
 複数の登場人物のエピソードが少しずつ関係し合いながら進行する物語といえば、以前紹介した有川浩の『阪急電車』を思い出すけど、こちらはその名の通り電車の車両のようにそれぞれのエピソードは線路の上を平行移動するというわけ。それに比べると『かもめの日』は、より奥行きのある、その分、ずっと陰のある話になっている。それは、宇宙空間で痙攣的にコードネームを繰り返す女性宇宙飛行士のエピソードにすでに暗示されていると言える。
 ぼくらが今ここにいることがすごいこと、なんていってしまうとみもふたもないけど、複雑なエピソードの絡まり合いの中からそのような思いを痛みの感覚とともに実感させてくれる小説は、そう多くない。それは宇宙を飛ぶかもめの視点を導入してはじめて実現できることなのだと思う。