体験を語るということ ティム・オブライエン『カチアートを追跡して』

 ティム・オブライエンは『ぼくが戦場で死んだら』、『本当の戦争の話をしよう』、『ニュークリア・エイジ』など一貫してベトナム戦争の従軍体験を題材に小説を書いている。
『カチアートを追跡して』は、ベトナム戦争従軍中に「ぼくはパリに行く」と言い残して戦場から逃亡したカチアート追跡し、ベトナムから陸路(!)で、ついにはパリにまで行っちゃうという話。小隊によるカチアート追跡とベトナムでの戦争体験が交互に語られる構成になっている。
「ひどい時代だった。ビリー・ボーイ・ワトキンスが死に、フレンチー・タッカーが死んだ。(…)バーニー・リンとシドニー・マーティン中尉は穴ぐらの中で死んでいった。ペダーソンが死に、ルディ・チャスラーが死んだ。バフが死んだ。レディ・ミックスが死んだ。みんな死んでしまった」
 小説の冒頭、名を挙げられる戦死した兵士達。彼らがいかにして死んでいったか。それを語ることがこの小説の焦点のひとつになっている。まるでその語りの重みに抗するかのように逃亡が企てられ、追跡が始まる。ベトナムからパリへの追跡行という荒唐無稽が、彼等の死を語るのに必要とされた。
 兵士たちの死は過去の出来事ではなく、彼らの死を語るという行為を通して、もう一度新たに体験する出来事なのだ。だから、そこから逃げ出したからといって、その行為を非難することはできない。
 ある体験を「正確に」語ろうとすることの困難。彼の作品はつねにこの問題を問いかけているといっていいと思う。ティム・オブライエンを読んでいると、ベトナム戦争のような過酷な体験だけでなく、おおよそ体験と呼べるものには、すべて語ることの困難が伴うのではないか、そんなふうに思えてくる。あるいは、痛みを通過することなしに語られ、書かれる体験にたいした意味はないと。