陶酔と覚醒 金井美恵子『ピクニック、その他の短編』

 このアンソロジーを編んだ堀江敏幸は文庫の解説で短編「桃の園」から次の一節を引いている。
「(…)桃の木が一番美しく見えるのは、果実が熟してクリーム色の部分が赤く色づいて、それが小さな灯りのように木を飾る時なんです。黄金色の産毛に飾られた少女の膚のように、内側から輝いて見えるでしょう。触ると形而上学的な怪我をしそうです」
 たかだかといってしまっては、間違っているだろう。形而上であれ、形而下であれ、怪我は怪我である。金井美恵子は内側にそのような傷を負いつつ、「競争相手は馬鹿ばかり」などとシニカルに装う。年代順に並んだ作品を見れば、初期の先鋭的な不安は、次第に倦怠感の漂う饒舌な文体の中に溶け込んでゆく。不鮮明な記憶に由来する不安が消えたわけではないが、作中人物たちは、何か決定的なことが起こるまでの猶予期間をひどくものうげに過ごしている。陶酔と覚醒が同時に、あるいは交互に現れては消える。うっとりしとったらええんかと思うと、するどいとげに刺さって鮮血がほとばしる。
 金井美恵子には読むことそのものの楽しみがある。80年代からの目白シリーズ(特に『タマや』)や『噂の娘』などもすごくいいけど、たまには現代詩のようにとんがった短編を読んで、「形而上学的な怪我」を負ってみるのもいかも。