日常と推理 北村薫『空飛ぶ馬』

 世界的科学者の美人令嬢が完全な密室で血まみれになって発見されるという『黄色い部屋の謎』がそうだったように、推理小説には特別な事件がつきもので、「ダイイング・メッセージ」やら「トリック」やら「アリバイ」といった言葉が飛び交う「お約束」の世界。特別な出来事がなければ、推理小説は成立しないのか。その一つの答えとなるのが、北村薫の連作短編集『空飛ぶ馬』。「特別な事件」は何も起こらない。語り手「私」は女子大生、探偵役は落語家春桜亭円紫という異色のコンビが、ささやかな日常の中にひそむ謎に挑む。事件は起きるのではなく、彼らの観察眼によって気づかれる。
 「私」は落語と読書が好きで、円紫のファン。寄席にもちょくちょく出かけるし、本に至っては「一日一冊」という目標を立てている。
「ところで『アンナ(・カレーニナ)』の充実感といったらなかった。古典の中でも『アンナ』やら『従妹ベット』やらの質量共に巨大な作品を読むと、愛すべき珠玉篇に触れた時とはまた違った意味で、小説の中の小説という言葉が自然に浮かぶ。そして生きていてよかったと心底思うのである。」(「赤頭巾」)
 こんな女子大生がいるかなと思うかもしれないが、彼女の姉が派手な遊び好きの美人で、若い女の子のイメージをそちらに譲る形になっている。落語の紹介も多く、『夢の酒』なんかすごくいい。女友達と岩手の花巻温泉に出かける「胡桃の中の鳥」は、なかなか「事件」が起こらない。でも、このまま何も起こらなくても十分おもしろいから、それならそれでいいやと思わせるゆったりした時間の流れがある。知的で保護者的な立場の探偵役円紫と、かざらないかわいらしさがある女子大生のコンビは、作品に現代小説らしくない暖かみを与えている。
 その中で「赤頭巾」はひやりとする感触がある。円紫は作中人物の絵本作家が出版した「赤ずきん」を「理に落ちている」と評した。噺家としての自戒の念も込めて、理屈を考えすぎると、話を小さくしてしまうことがあるという。もちろんこれは、伏線としての役割もあるが、一方で作者の創作上の苦悩を表してもいる。日常性と推理小説の融合を試みたデビュー作『空飛ぶ馬』は、様々な側面から作家北村薫の格闘の痕跡を読み取ることができる。