観念と行為の間 三島由紀夫『金閣寺』

 

金閣寺』を読んで思ったのは、それぞれの時代を象徴する事件や出来事があるということだ。今年(2022年)で言えば、7月に起きた安倍晋三銃撃事件とその後、「国葬」に至るまでの一連の出来事ではないだろうか。

 そうした事件は、事件を受け取る側に当事者意識を持たせることがある。罪悪感といって悪ければ、他人事ではないという思いである。あるいは、もう少し広く観念と行為の不幸な交点を見出して動揺するとでも言えばいいのか。

仮面の告白』で三島由紀夫は純粋であるが故に、欺瞞という鎧をまとわざるを得ない主人公を描いたが、『金閣寺』の溝口(「私」)は鎧をまとうことさえできない不器用な男で、自分と世界との距離を測りかねている。そこでは、つねに行為に先立つ肥大した観念が存在している。

 1950年に起こった金閣寺放火事件に材を取った小説『金閣寺』が『仮面の告白』と同系列の青春小説の集大成である以上、事件から三島が受けたショックは上に書いた当事者意識に似た感情だったのではないかと想像する。行為に先行した観念が行為をゆがませる。『仮面の告白』ではその焦点は内的な問題にあったが、『金閣寺』では、身体的な障害と金閣寺という現実に存在するものでもあり、象徴的なものでもあるという二重性を帯びていることが重要だ。

「何よ。(…)吃りのくせに」

 主人公の溝口(「私」)は少年時代から繰り返しこういう言葉を浴びせられてきた。その結果「吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障碍を置いた」。一方で溝口は僧侶である父親から金閣寺の美しさについて聞かされていて、それはいつの間にか一つの観念として溝口の心に定着していった。

 溝口は父親の口利きで金閣寺鹿苑寺)で修行生活に入った。その当時の友人に鶴川と柏木がいた。鶴川は屈託のない快活な性格で、溝口と他者をつなぐ存在に見えたが、東京の実家に帰省中に事故死した(のちに自殺であったことがほのめかされる)。柏木は溝口が進学した大谷大学で知り合った学友で、両足に障害があり、彼の歩行は全身が躍動し、一歩一歩が「仰々しい舞踏」のようだった。シニカルで毒舌家の柏木は、自らの障害を利用するような形で女と知り合い、意のままにする術を心得ていた。柏木は鶴川の屈託のなさとはまた異なるしかたで世界と交わる方法を会得していたのである。

 肉体的な属性が世界との関係を決定づけるという意味では溝口も柏木も似たような経験をしていたかもしれないが、折り合いの付け方において、柏木は溝口よりずっと達観していた。もっとも象徴的なのが女と肉体関係を持つ場面だ。柏木がすでに複数の女と肉体関係を持っていたのに対して、溝口は女といざ関係を持とうとすると、金閣の幻影を見る。あたかも金閣が自分への忠誠を忘れて女を抱こうとしている溝口に嫉妬でもしているかのような場面だが、要は吃音のために言葉という鍵が錆びついて外界との扉を自由に開けることができないだけのこと。自分の怯えを幻影に仮託しているとしか思えない。

 戦中、いつ空襲を受けてもおかしくないという状況で、金閣寺はそのはかなさ故輝いて見えたとあるが、戦争は金閣寺を焼失させる可能性を担保してくれていたわけだ。いっそのこと、何もかも戦争で焼けてしまえば、戦後の溝口の観念との葛藤も起こらなかったのかもしれない。しかし、京都は焼けなかった。これはあくまで想像だが、もし戦後GHQが行った一連の改革や東京裁判で、天皇制が改革の対象になっていたら、戦争責任を問われていたら、三島にとっての「金閣」は天皇以外の何かになっていたのだろうか。

「『私は行為の一歩手前まで準備したんだ』と私は呟いた。『行為そのものは完全に夢見られ、私がその夢を完全に生きた以上、この上行為する必要があるだろうか。もはやそれは無駄事ではなかろうか」(第十章)

 しかし、彼は行為に及んだ。金閣は炎上し、焼失した。三島由紀夫がこの小説を書かなければならなかった理由もなんとなくわかる。三島にはきっとフィクションという形で行為ではなく、観念を生きる必要があったのだ。それで「青春」には決着をつけられたのかもしれない。しかし、もっと大きなもの「戦後」とか「近代」といった観念との戦いにおいては、「行為」という「無駄事」に及ばざるを得なかったのだろうか。