女子高生の描き方 その2 江國香織『いつか記憶からこぼれおちるとしても』

「学校では毎日いろいろなことがおこる。教室のあちこちで。
 ワールドニュースみたいだ。どこかの国では戦争をしていて、どこかの国には寒波がきている。ほとんど裸みたいな恰好で暮らして、たれさがったおっぱいにビーズの首飾りをじゃらじゃらつけている人たちもいる。」(「指」)
 女子高生を主人公にした江國香織の連作短編集『いつか記憶からこぼれおちるとしても』はこんな風に始まる。教室にはいろんな人がいる。制服を着た女子高生の集団を見たら、みんな同じようにしか見えないし、「最近の女子高生は…」なんてひとまとめにすることもあるけど、それは区別する必要のない人の都合であって、教室には「女子高生」など、どこにもいない。江國香織はその事実を確認した上で、6つの物語を語り始めるのである。
 『間宮兄弟』の読後感でも書いたことだが、江國香織はまだ名づけられていない感情や関係を描こうとする。名づけられていないものを言葉によって描写するという困難な作業。例えば、友だちに紹介された男の子とひたすら歩くだけのデートをくりかえす話(「テイスト・オブ・パラダイス」)。山田詠美とは対照的に恋だの愛だのという言葉は出てこない。どう見ても気が利かない「吉田くん」への思いを主人公がはっきり感じたとき、話も終わる。そんなんでいいの? もっといいやついるんじゃないの? なんてのは余計なおせっかいでしかない。山田が描くような実はこういう男がいい男なんだよ的な示唆も、「正しい恋愛」へ導こうとするような指導者的な存在もない。
「ママの考えていることはときどきよくわからない。これはあたしが子供すぎるのではなくて、ママが年をとりすぎているのだと思う。この二つは同じじゃない。全然違うことだ。だって、もし何かがわかるのに子供すぎるのなら、いつかわかるときがくる。でも、なにかをわかるのに年をとりすぎているのだったら、その人はもう、永遠にそれがわからないのだ。」(「テイスト・オブ・パラダイス」)
 ときおりみせるナイフのように鋭利なことばで、「女子高生」を主語にする語りも、何かを教えたくてたまらない大人も切り裂かれて、ちょっとだけ顔を出す何かに思わず立ちすくむ。