幽霊としての都市  イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』

 奔放な想像力を楽しめる小説をもう一つ。カルヴィーノの『見えない都市』は、マルコ・ポーロが数々の旅で見聞した奇想天外な都市を元の皇帝フビライ汗に報告するといういわゆる枠物語の形をとっている。「都市と記憶」「都市と欲望」「都市と名前」「都市と死者」などの見出しのもと、深い谷の間に宙づりになった都市、決してたどり着けない都市、地上とそっくりそのままの都市を作り、地下に死者たちを住まわせる都市など、幻想都市の断章が次々に現れる。こうした都市についての断章のあいだに、ときおり、マルコ・ポーロフビライの会話が交わされる。
 フビライは、これほど多くの都市を訪れる機会がいつあったのかとマルコに問う。マルコの答えは、二人が語り合う庭にいながらにして、旅を続けているというものだった。「朕もまたここにおるということが確かなこととは思えないのだ」「恐らく、この庭園は私どもの閉ざした瞼のかげにのみ存在するものなのでございます」「恐らく、われら二人のこの会話は、フビライ汗、マルコ・ポーロと綽名される乞食二人のあいだでかわされておるのだ」
 二人の会話は、あるものとないもの、存在をめぐって、哲学的な傾向を帯びてくる。マルコが語る都市についても同様である。もう一つおもしろいのは、フビライの持っているという「地図帖」。フビライの地図は、あまりにも完璧なので、未来の都市まで載っている。マルコの報告には「飛行場」という言葉も出てきて、二人の会話は、場所だけでなく、時間からも自由なのであることがわかる。
 幽霊とは、あるものとないもののあわい、時間的に言えば、痕跡と予兆といったありかたを示すもの。そして「語り」に深い関係を持っている。カルヴィーノは、期せずして幽霊としての都市を描いたことになる。