未知のものを描くとは その2 A&B・ストルガツキー『ストーカー』

 ファーストコンタクトもの第2弾は、アルカジイ&ボリス・ストルガツキーの『ストーカー』。タルコフスキーによって映画化されている点以上に、未知のものが人間という存在を克明に写しだす鏡であるという点において、この小説はレムの『ソラリス』とふたごの兄弟のようによく似ている。
 邦訳の『ストーカー』というタイトルは、作中のゾーンと呼ばれる地球外生命の来訪地から、来訪者たちが残していったものを盗み出す男たちをそう呼んでいるところから取ったもので、他人にしつこくつきまとう異常者のことではない。また、訳者・深見弾によると原題は、「路傍のピクニック」あるいは「道端のキャンプ」ぐらいの意味だという。訳者あとがきには、『ストーカー』はキャンピングカーで旅をしている人間がある一夜をどこかの道端でキャンプしたとして、人間たちが立ち去った後、そこに残された空き缶や食品の包装紙などは、虫たちにとってどんな意味があるのかという発想のもと、書かれた小説であることが紹介されている。
 地球外生命がいかなる理由で地球にやって来たのかも、なぜ短期間で立ち去って行ったのかもわからないまま、人間にとって全く未知の現象や物体が残された「ゾーン」が存在している。つまり、『ストーカー』は、人間を虫けらの位置にまで引きずりおろすところから出発しているのである。
 最初に『ストーカー』は『ソラリス』とふたごのような小説だと書いたが、両者の違いを言うなら、『ソラリス』の主人公ケルビンは、人間の尊厳を失うまいとして奮闘していたが、『ストーカー』のレドリック・シュハルトは、そもそもそんな尊厳なんて初めから持っていないアウトローだ。彼は生きるために命の危険と法を犯してゾーンに忍び込み、なんだかよくわからないブツを盗んでは金に換えている。
 それで、虫けらたちは幸せになったのだろうか。ハードボイルド小説のような乾いた文体で、さらりと書かれてはいるが、レドリックがゾーンにかかわることで、彼がもっとも大事にしているものが次第に蝕まれていく。それでもレドリックがゾーンに行くことをやめられないのは、『ソラリス』の海同様、ゾーンが沈黙を守っているからだ。巨大な沈黙を前にして、そこに意味を見出さないではいられないのである。皮肉なことに最後のゾーン行きで、レドリックがが探し出そうとしたのは、何でも願いをかなえてくれるという〈玉〉という物体だ。レドリックが信じるチープな物語は、正確にレドリックの虫けらでしかないことの裏返しである。そして、虫けらでないものが、この世にいるのかと考えてみたら、確かに『ストーカー』は『ソラリス』よりも現代性を持った小説である。