他人と暮らすのは楽じゃない ニック・ホーンビィ『いい人になる方法』

 ケイティ。結婚24年目、職業医師、子ども2人、地元紙に「ホロウェイで最も怒れる男」と題するコラムを書くほかは仕事らしい仕事をしていない夫は口を開けば皮肉ばかり。彼女は実はあまりよく知らない人と浮気中。夫デイヴィッドと電話中にふと別れ話を切り出してしまうまで、自分を「いい人」だと思っていた。
 ニック・ホーンビィの『いい人になる方法』は、離婚する夫婦の話ではない。確かにケイティとデイヴィッドの関係はもはや修復しがたいまでに冷め切っている。いつも不機嫌で口を開けば憎まれ口の夫と浮気をしながらも子どものために離婚に踏み切れない妻。気が滅入る話だけど、そんな夫婦はおそらくごまんといるにちがいない。
『いい人になる方法』がほんとに凄味がきいているのは、夫がある日、別人のように「いい人」になってしまうということだ。汚い言葉を使わなくなり、すすんで家事や子どもの世話をする「理想的な夫」になっただけでなく、「みんなの間違った生活を直したい」などと言い出したのだ。何から何まで今までのデイヴィッドとは正反対の人物。
 きっかけはDJグッドニュースという患部に触るだけで痛みを治してしまう魔法のような力を持つ男に出会ったこと。デイヴィッドはDJグッドニュースに心酔し、ケイティが気がついたときにはDJグッドニュースは彼らの家に住んでおり、夫とDJはいつも頭を突き合わせて何か相談している。そして彼らは、ホームレスの子どもたちを家の空き部屋に住まわせる計画を立てる。さらに同じ通りに住むご近所さんにも呼びかけて、空き部屋をホームレスに提供させようというのである。
 ケイティは「ふたりは明らかにまちがっている」と思っているのに、その計画に反対する正当な理由を見つけられずにいる。話の続きはさておき、ここまでの展開にはさまざまな問題が提起されている。夫と妻は赤の他人同士というが、実際のところ、おたがい何となく相手のことはわかってると思っているのではないだろうか。
 ある日突然夫が180℃違う人格になってしまったとしても、夫婦は結婚生活を続けていけるものだろうか。「他人」と暮らすというのはどういうことか、ニック・ホーンビィは夫の豹変という戯画化した形で問いかける。さらに、「善」とは何かというより抽象度の高い問題がある。デイヴィッドとDJの計画に正当な理由を見つけて反対するのは難しいことだろう。二人が気の触れた理想主義者だとしても、より大きな「善」に対する信念の問題であり、いくらケイティがご近所に恥ずかしいからやめてくれとお願いしても、理屈では説得できないだろう。
「あまくない」というのが、率直な感想だ。もっとゆるいエンタメ小説かと思っていたら、あなたはどんな生き方がしたいのというド直球をズバリと投げ込んでくる。そう、ここに3つ目の、そして最大の問題が潜んでいる。それは感情のマヒである。うれしい、楽しい、悲しい、したい、したくないという単純で素朴な感情は、ケイティの中からほとんど消えかかっているのである。いつもイライラしていて、幸せかだって? 笑わせるな、なんて皮肉しか言わない夫との結婚生活は、ケイティからしだいに感情を奪っていった。妥協してがまんして浮気して、その先に何があるのかなんて考えることもなく、ルーティン化していた。
 だから、ケイティは「あなたはどんな生き方がしたいの」という問いかけに答えることも、目の前に展開するスピリチュアル野郎と偽善者のたくらみに「いやだ」ということさえできない。いや、こういう言い方はフェアじゃない。この本を読んでいるとき、ぼくは彼ら二人のホームステイ計画に感動しさえしたのだから。くりかえすがやはりこれは信念の問題なのだ。本気で世界が少しでもよくなればいいと思って活動する人をバカにしてはいけない。
 では、ケイティはどんな答えを出すのだろう。彼女のマヒした感情に再び血は通い出すのだろうか。ニック・ホーンビィが用意している結末は、ぼくを納得させるものだった。しんどいのは夫も同じだったはずだ。夫のほうは、答えを求めて「あっち側」に行ってしまったけど、ケイティは時間をかけて考えた。そして、自分で「答え」を見つけた。ただ、それは万能薬ではない。でも「ほしい」とか「いやだ」が言えるようになった彼女。たとえそれが大きな「善」ではなく、小市民的な保守性だったとしても、それが自分が気持ちよく生きることにつながるなら、それだって立派な「善」だと言えないだろうか。