ことばの国 その2 多和田葉子『飛魂』

 「ある日、目を覚ますと、君の枕元には虎が一頭、立っているだろう。天の色は瑠璃、地の色は琥珀、この両者が争えば、言葉は気流に呑まれて、百滑千擦し、獣も鳥も人も、寒暑喜憂の区別をつけることができなくなる。」

 『飛魂』は「言葉」についての小説。
 しかし、そのように言ってしまえば、多和田葉子の小説は、みなそうかもしれない。言葉と物の関係、本を読むこと、学問をすること。それが『飛魂』の世界だ。
 中国とおぼしい深い森の奥、亀鏡という女師匠の下に、女弟子ばかりが集う学舎がある。女弟子たちは、日々、書物に向かい合い、虎の道を究め、「飛魂」の技を身につけようとしている。原書講読の時間などには、意識の河口が広がり、そこから見事な鯉が跳ね上がったりするのだという。そこではまた、個性的な女弟子たちが亀鏡の寵愛を争ったりもする。そこはいわば言葉の森でもある。
 主人公の女弟子が、学問の道に挫折し、言葉を失いかけたとき、亀鏡は無言で手を差し伸べる。
 この小説を読んでいると、いまここにないものを指し示すこと、それが言葉の本来的な機能だったと思い至る。人間は言葉なしには生きられないという認識を一貫して語りながら、言葉が自律的であるような世界を描いている。