即興と直観  吉本ばなな『体は全部知っている』

 よしもとばななは『体は全部知っている』について次のように書いている。「この小説集は、ずっとしたかったこと(寓話的に描く、だとか一筆書きのようなスピード感を持たせる、だとか全然異なる感性の人を描く、だとか)を初めていくつかしてみたので、思い出深いものです。」(「文庫版あとがき」)
 この短編集からは、よくいえば「一筆書き」感、悪くいえばぞんざいな感じを受ける。そっと丁寧に扱うべきものが、まるで投げ出すように提示される。たとえば「田所さん」。田所さんは会社員だが、知的障害があり、ときどきコピーをとるぐらいの仕事しかしていない。そんな田所さんの存在が、実は会社や社員にとって重要な意味がある。「暗闇の中で彼が静かに壁を支えているイメージ」とか「学校の校庭のすみっこで飼うことを黙認されていた猫」という田所さん像。「彼がいることで皆少しこの世を好きでいられる」「うちの会社の人たちはひそかに皆信じている。彼をじゃけんにして彼がいなくなったら、罰があたるような気がすると」という田所さんの心理的効果。この「書きすぎている」感が全体の独特な味になっている。作者は「きれいな文章」とか「文学っぽさ」とかは、きっとどうでもいいのだ。
 おしゃべりを聞いているような即興性の中に、あるいは、その時間の中に書かれていることとは別のドラマが展開しているような感じがする。で、それが唐突に直観としてこちらに顔を見せる。昼ドラのような紋切り型のストーリーが即興と直観のドラマになるおもしろさは、ちょっとほかでは味わえない。