市井の人々と言葉 岩阪恵子『淀川にちかい町から』

なにしろそのときぼくは『ドグラ・マグラ』を読んでたものだから、岩阪恵子(初めて耳にした作家、文庫の年譜を見て「清岡卓行の奥さんなんだ」とつぶやきはしたものの)を勧められてもあまり興味を持てなかった。短編集『淀川にちかい町から』を読み終えた今は、まずこの本を勧めてくれた友人に感謝したい。
 表題作「淀川にちかい町から」をはじめ、「質朴な日日」「おたふく」など10の短編が収められた本書は、淀川に近い大阪の下町を舞台に、職人、老人、子供、パートの主婦、サラリーマン、ホームレスといった市井の人々の生活が描かれている。というと貧しいながらも幸せな心温まるお話程度のものを想像しがちだが、岩阪恵子が描く「生活」は美化でも露悪でもない。紋切型が誘う安易な発想や表現を一切拒否したところに『淀川にちかい町から』の世界は成立しているのである。
 岩阪恵子が描こうとしているのは、「意味」に変換される前の「自然」の姿だといってもいいと思う。自然に意味はない。ときに猛威を振るうかと思えば、ときに穏やかに人を包み込むこともある。しかし、どちらも「自然」の側面に過ぎず、そこに「恐ろしい」とか「やさしい」といった意味を見るのは人間である。そのような意味付け作業は、私たちの生活の一部になっている。鏡で自分の顔を見るとき、「まあ、そんなに悪くない」と思う(ことにしている)。なのに、写真を見るとがっかりするのは、やはり自分を美化しているからだ。こうした意味付け作業は、習慣となって生活の隅々にまで入り込んでいるので、言葉のレベルでそうした「意味付け」を拒否するのは、並大抵のことではない。文庫の解説に岩阪の次のような言葉が引用されている。
「手始めに私は、自分の立っている足元から見つめ直さねばならなかった。徒労とも思えていた日常の仕事のあれこれを、身近に生きる人人がなにを喋り、どんなふうに動いているかを、あまりに見慣れているために気にもとめなかった物たちを、ゆっくり丁寧に見直していかねばならなかった」(『画家小出楢重の肖像』「なぜ小出楢重なのか」)
 こうした作業を重ねた結果としての短編集に、言葉で感想を述べるのは難しい。何か言うたびに、最初に自分が受けた「あの感じ」からは離れていく。でも確かにそこに町があって、人がいて、生活がある。それだけではなく、そうしたものが重なることによって生じる言葉にならない感慨のようなものが、確かに息づいている。「あの感じ」を描くのにはきっと幼い日々をそれに囲まれた大阪弁でなければならなかったろうし、状況を言語化することに長けているインテリが主人公になることもありえなかった。
「質朴な日日」では、働きづめの生涯を送った老人が、病から回復し久しぶりに淀川の堤防までステッキをついて散歩に出る。
「堤防の階段をゆっくり登りきったとき、喉の奥になにやら絡むものがあった。川は鏡の面のように鈍く光り、対岸の町に朝日があたっている。はればれとした眺めである。
『よう来たもんや』
 そう呟いたつもりが、ただ喉のあたりでガラガラと言葉にならない声が洩れただけであった」(「質朴な日日」)