影とは何か その1 シャミッソー『影をなくした男』

「どこに影を置き忘れてきなさった?」
「あれまあ、あの人、影がないじゃないの!」
「ちゃんとした人間なら、おてんとうさまが出りゃあ影ができるのを知らねえか」
 主人公ペーター・シュレミールは、灰色のマントの男に乞われるまま、いくらでも金貨が出てくるという「幸運の金袋」と引きかえに影をくるくると巻き取られてしまう。その結果、シュレミールは影を売ってしまった代償をいやというほど払わされることになる。影がないというだけのことで、どうしてこんなに嫌われるのか、その理由ははっきりしないが、とにかく影がないというのは大変なことらしい。不思議なのは、影がない男が世間の冷たい目にさらされるのは、理屈はともかく、わかるような気がすることだ。シュレミールは美しい令嬢と恋に落ちたりもするが、肝心なところで影のないのがばれ、逃げ出すように一人自らの影を探し求める旅に出る。
 影とは何か。ドイツ・ロマン派の作家シャミッソーによる不思議な物語を読んでいるとこんな問いかけが自然に浮かんでくる。もちろん、明確な答えが用意されているわけではない。作者シャミッソーはフランスで生まれ、フランス革命から逃れるためドイツに移り住んだ経歴を持つ。『影をなくした男』は「祖国」を持たない作家が描いた自己像だという見方もあるが、そんなふうに意味づけするのはつまらないことだ。物語の中盤、再び灰色のマントの男がシュレミールの前に現れ、今度は魂を要求するという展開のなかに、ヒントがあると言えるだろう。灰色の男はきっと、金で影を売るやつなら、魂だって売るに違いないと思っているのだ。
「ではおたずねいたしますが、あなたの魂とやらはいかなるシロモノですかな。ご自分の目でごらんになったことがおありですか? あの世にいってから、そいつを元手に何かを始めるおつもりですかね」
 灰色の男の嘲笑は、結局、金だろ、魂なんて何の価値があるのかという問いかけである。灰色の男はなぜ自分が魂をほしいのか、その理由は決して言わない。しかし、影を失っただけでも大変な目にあったシュレミールは、もうこんな言葉にごまかされない。
「悪魔よ、立ち去れ!」と決然と言い放ったシュレミールは、金も影も失ったが、ようやく自己実現とでも言えそうな境地を手に入れる。メルヘンタッチで描かれた『影を失った男』は、ペーター・シュレミールの成長物語でもある。自分のやりたいことを見出した彼は言う。
「友よ、君は人間社会に生きている。だからして影をたっとんでください。お金はその次でかまわないのです」