時間と距離の遠近法 G・ガルシア=マルケス『十二の遍歴の物語』

 ガルシア=マルケスと言えば、『百年の孤独』。コロンビアの架空の村コマンドを舞台にブエンディア一族の100年にわたる盛衰描いた長編小説は、圧倒的な密度、スピード、展開で物語のおもしろさを再認識させてくれる。その後、『族長の秋』、『予告された殺人の記録』などを経て書かれた短編集『十二の遍歴の物語』は、いわゆる魔術的リアリズムから連想されるめくるめく世界とは異なり、いちおう普通の小説らしい入口を持っている。
「訳者あとがき」にもあるように、十二の短編に共通するのは、「ヨーロッパのラテンアメリカ人」というテーマで、ローマ、パリ、ジュネーブバルセロナといった街が舞台になっている。本書成立の経緯は作者による「緒言」に詳しいが、若いとき新聞社の特派員として滞在した欧州の各都市を20年ぶりに訪れたガルシア=マルケスは、次のように書いている。
「現実の記憶が私には記憶の亡霊のように感じられ、その一方で、偽ものの記憶の説得力があまりにも強くてすっかり現実にとってかわってしまったようだった。そのため、私は幻滅とノスタルジアとの間の境界線を見極めることがまったくできなかった。それが最終的な解決策となった」
 マルケスはこの短編集に必要なものは「時間の遠近法」だったというが、地理的にも時間的にも「距離」がこの短編集を魅力あるものにしている。「毒を盛られた十七人のイギリス人」はアルゼンチンの老婆がローマ法王に会うため、たった一人で大西洋を渡ってイタリアにやって来るという話。イタリアの喧騒の中でとまどう老婆の滑稽さと孤独が、港に浮かぶ水死体やホテルのロビーに陣取る十七人のイギリス人といった背景と劇的な結末によってあざやかに浮かび上がる。
 他にカリブ海地域の小国の失脚した大統領が手術を受けに来たジュネーブで同国人のカップルに会う「大統領閣下、よいお旅を」、川端康成の「眠れる美女」に触発された「眠れる美女の飛行」など、時間と空間の「距離」のふしぎを物語として感じられる上質の短編集だと思う。
 結局のところ、それらは「人生」という私たちのかたわらにあって、触れられそうで触れられない何かということになりそうだが、とくに「『電話をかけに来ただけなの』」、「悦楽のマリア」、「ミセズ・フォーブスの幸福な夏」における「受難の女」とでも言うべき物語は、ひやりとした冷たい感覚とともに、確かに今触れられないはずの何かに触れたという感触を残す。長編とはまた異なるガルシア=マルケス印の短編のおもしろさ。まえがきにあたる「緒言」も作家志望の人にもいろんなヒントを与えてくれそう。