恋と暗黒世界 佐藤哲也『シンドローム』

 

シンドローム(キノブックス文庫)

シンドローム(キノブックス文庫)

 

  (ネタバレ)人間は12歳ぐらいで一回完成すると言った人がいる。なるほど、そうかもしれない。物心がついて、言葉を獲得し、理性で自分を抑制する術を覚える。しかし、その「完成」がその後に訪れるカオスとの戦いの前振りにすぎないとしたらどうだろう。

 佐藤哲也の『シンドローム』は思春期という途方もない深い闇の世界を、火球落下とそれに続く地球外生物の侵略SFとして容赦なく可視化した、せつなくも恐ろしい物語だ。

 教室の窓から火球の落下を目撃した主人公の男子高校生「ぼく」。単なる隕石の落下と思われたが、放課後、隕石説を否定する平岩が「ぼく」を誘い、久保田葉子や倉石とともに現場を見に行くことになった。しかし、彼らは現場から追い返され、モールのフードコートで他愛のないおしゃべりにふける。

 この謎の火球落下事件と並行して語られるのが、「ぼく」の久保田葉子への淡い恋心だ。「ぼく」は平岩も久保田葉子が好きだとにらんでいる。「恋とは迷妄である」と断じる「ぼく」は思う。平岩は恋の迷妄に捕らわれているので、何をするかわからない。だから、気を付けなければならないと。しかし、ことの真相は何もわからない。それには理由がある。ちょっと長くなるが引用しよう。

「ぼくは久保田葉子が恐ろしいのだ、とぼくは頭の中で繰り返した。なぜ恐ろしいのか、ぼくはその理由を知っているような気がしたが、理由が置かれたその場所は精神の外周にあって、暗い影に覆われていた。理由があるのは知っていたが、ぼくには理由が見えなかった。理由を見てはならない、とぼくは思った。理由は暗黒の領域に隠れているのだ、ぼくは思った。」(「三日目」)

「ぼく」のモノローグはとても回りくどい。もちろん、それは「ぼく」が久保田葉子に恋しているという単純な真実を回避しようとなっているからだ。「ぼく」がそれを避けて通ろうとする以上、彼らの恋に関する事柄はすべて推測の域を出ない、というか、「ぼく」が非精神的な領域にあるとして恐れている恋の迷妄を、結果として自ら培養しているようなものだ。暗黒の領域は、期せずして、しかし、着々と準備されつつあるのであって、読者が恋バナはいいけど、火球落下の件はどうなったと思い始めたころ、満を持して、暗黒世界が突然ぱっくりと口を開けるのである。

 そうなってからはもう遅い。「ぼく」の恋心があれとシンクロしてるんだと気づいたとき、世界は言葉を失い、天地はさかさまになる。地面の巨大な陥没が高校の校舎を飲み込み、あれが何なのかさえわからないまま、学生も教師もぬらぬらと伸びてくる触手の餌食になる。しかし「あれが何か、という肝心の問題には誰も触れようとしなかった。(…)愚劣な現実から目をそむけて、現実的ですっきりした結論を求めていた」(「五日目」)

 現実は恥ずかしい。現実は愚劣だ。そして、世界には言葉にならない暗黒領域が広がっている。平岩は行動し、倉石はあれをエイリアンと仮定し、状況を体系化しようとする。「ぼく」はいったい何をしただろうか。まだ、何もしていない。「ぼく」を責める気はない。現実の世界は愚劣で恥ずかしくて、暗黒なのだ。そして、そのことに気が付いたとき、「ぼく」が頼りにしていた精神と言葉の世界は、無力だった。佐藤哲也の『シンドローム』はその事実を残酷なまでに可視化してみせる。

 それからどうなるのだろう。「ぼく」の置かれた状況は過酷というか、孤立無援に見える。あれに名前をつけること、そうしなければ再び自分の物語を生きることはできない。「ぼく」はメールという形で、世界に言葉を投げかける。

「寝る前に、久保田にもう一度メールを送った。

 しばらくしてから、返信があった。

 ――おやすみなさい。」(「六日目」)

 物語はこのようにして一応の幕を閉じる。ここ読んでいて、あれっと思った。ぼくがどんな文面のメールを送ったか書いてないのだ。文庫に挟んである「キノブックス文庫かわら版」という手書きの印刷物によると書籍化にあたって、草稿から削られた一文があった。それが最後の主人公のメールの文面。かわら版の書き手である編集者はこれを削ったことにより作品に「余白」が生まれたという。少し意味はちがうが、「余白」はもしかしたら、「ぼく」の世界を紡ぐ肝なのかもしれない。わからないものが暗黒世界としてではなく、余白と認識されるようになれば、「ぼく」は大人への一歩を踏み出せるのではないだろうか。空き地のない世界に魅力がないように。