帝国と身体 J・M・クッチェー『夷狄を待ちながら』

 

  城壁に囲まれた辺境の町は帝国の首都から派遣されたジョル大佐により、その静寂が破られた。北方及び西方の夷狄(本書では遊牧民)に不穏な動きがあるといううわさが流れており、そうした夷狄の動きを探るべく、治安警察の最重要部門である第三局所属の将校がやってきたのだ。

 作者クッチェーは南アフリカのケープ州生まれであり、文庫解説の福島富士男は物語の設定を「18世紀末の東ケープの地誌を想起させる」としているが、物語上の「帝国」はあくまで架空のものだ。この物語も西欧諸国の帝国主義を背景にした植民地支配そのものが主題になっていると考えていいだろう。

 語り手の「私」は辺境の町で20年以上も民政官を務める男で、政務のかたわら先住民の遺跡発掘や狩猟の趣味を持っており、夷狄への警戒心は薄いが、ジョル大佐の登場によって辺境の事態は一変する。大佐がもくろむのは、夷狄への先制攻撃による捕獲作戦で、彼はそのために城壁の外に住む先住民を「夷狄」と称して捕まえては凄惨な拷問を加える。「私」は拷問によって引き出された証言に信憑性がないことを大佐に説くが、大佐は意に介さない。

「まず最初に嘘がある、そこで圧力をかける、するとさらに嘘が重ねられる、そこでさらに圧力を加える、と潰れる、そこでもっと圧力をかけ、それでやっと真実が得られるというわけだ」

 大佐が言っているのは、拷問による「真実」の捏造である。捕らえられたのが、夷狄かどうか、拷問の末、彼らの口から出た言葉が真実かどうかなどはどうでもよく、結局のところ、大佐をはじめとする首都から派遣される将校たちは、「帝国」という物語を維持するために、「敵」を再生産するという極めてシステマティックな作業に従事しているにすぎない。ジョル大佐は「帝国」という物語の暴力性が最も先鋭化したキャラクターだと言えるが、そこに驚きはない。

 ジョル大佐にとって、拷問は「帝国」という物語維持の手段にすぎないので、拷問された人間がどうなろうとかまわないわけだが、『夷狄を待ちながら』のおもしろさは、拷問によって生じたゆがんだ身体そのものを「帝国」という物語のいわばB面を象徴するものとして扱うところである。

 民政官の「私」は、あるとき、町なかで物乞いをする若い女に目を止める。女は大佐が連れてきた夷狄の一人で、拷問によって父親を殺され、彼女自身も目は半ば見えなくなり、両足はねじ曲がり二本の杖がなければ歩けなくなっていた。「私」は夷狄の女を官舎の料理女に取り立て、夜は自分の部屋へ来させるようになる。

「帝国」のふるまいの第一章が拷問だとすると、第二章は民政官である「私」と夷狄の女による奇妙なコミュニケーションだろう。「私」は部屋で女の体を洗い、無残にもねじ曲がった脚を愛撫する。その愛撫が「私」と女の間にある唯一の言葉であるかのように。「私」が夷狄の女に何を求めていたのか、心理的なことはさておき、「私」が女に行ったことは、「私」が帝国の民政官であり、女は北方の夷狄で拷問の刻印を深く刻まれた女であるという関係性ぬきには成立しない。

「私」が女を愛撫するのは、その抜きがたい帝国の刻印のせいである。事実、「私」は女が最初に官舎の中庭に連れてこられ、他の夷狄といっしょにいる場面をどうしても思い出すことができない。女がいたとおぼしい場所だけが、「私」の記憶の中で空白になっている。まるで帝国の刻印が体に刻まれるまで、女は存在すらしなかったと言わんばかりである。

 ジョル大佐と民政官「私」の違いは、「帝国」の暴力性に対して自覚的か否かということだろう。もう少し正確にいうなら、「私」は心の深層でしかその暴力性を認め得ないということだ。だからこそ、否応なく女に惹かれた。そして、己を愛撫するかのように女を愛撫した。それはジョル大佐らの暴力的なやり方に異を唱える民政官の言葉とは裏腹に、彼もまた「帝国」を背景にした暴力の行使に余念がなかった。

 支配構造を前提にした女の身体への執着は、おそらくさまざまな形で現れる。クッチェーが描いて見せたのは、そうした構造の中に生きることを余儀なくされた人々が背負うことになる生々しい身体への刻印とつかの間に生じるいつわりの(感傷的な)エロス的空間だったのではないだろうか。民政官はジョル大佐の拷問に反対する言動により危険思想の持ち主と見なされ、その地位を追われ、彼もまた拷問と民衆への見せしめの餌食になる。

 拷問が真実を暴く手段ではなく、「帝国」という物語を再生産する欺瞞でしかなかったように、民政官と夷狄の女の関係もまた民政官の幻想の中にしかなかったにちがいない。女はあっさり遊牧民の中へ帰っていった。まるで魔法が解けてしまったかのように、堅固な「帝国」のイメージが崩れた後に残るのは、むき出しにされてしまった「夷狄への恐怖」と彼らの襲撃におびえる民衆である。それは「帝国」という物語を信じ、支えてきた彼らが支払う応分の代償だと言えるだろう。

(8月15日訂正・加筆)

「ルール」と「練習」の効用 アゴタ・クリストフ『悪童日記』

 

  体験をどのように語るか。それは現実に対する自分の立ち位置を決めることにほかならない。アゴタ・クリストフの『悪童日記』はこの点について、戦略的でありながら、同時に誠実でもある小説なのである。

 第二次世界大戦が激しさを増す中、双子の「ぼくら」は〈小さな町〉のおばあちゃんの家に疎開してきた。お母さんは「ぼくら」をおばあちゃんの家に残して姿を消した。人々はおばあちゃんを「魔女」と呼び、おばあちゃんは「ぼくら」を「牝犬の子」と呼んだ。魔女は汚らしく、いやなにおいがした。魔女は「ぼくら」が仕事をしないと決して食べ物をくれなかった。こうして「ぼくら」は日々の糧を得るため「労働」をするようになる。こうして「ぼくら」とおばあちゃんの共同生活が始まった。

 上記のような出来事を記述しているのは『悪童日記』(原題:Le grand cabier/大きなノート)というタイトルからもわかるように、「ぼくら」のノートに記された作文である。双子は学校に行かないが、自分たちで勉強することにして、「作文」も書く。彼らの作文は、きわめて単純なルールによって成り立っている。すなわち「作文の内容は真実でなければならない」というルールだ。このルールにより、比喩的表現、感情、価値判断は厳格に排除される。たとえば「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことはできず、「人びとはおばあちゃんを〈魔女〉と呼ぶ」と書くことは許されているというわけだ。

悪童日記』はすべて双子がノートに書き記した作文であるという設定であるため、『悪童日記』という小説世界からは一切の感情表現や価値判断がはじめから排除されていることになる。最初に本書が出来事に対して「誠実」だと書いたのは、このためだが、ことはそう単純ではない。一方でそれは戦争というあまりに過酷な現実を記述する作者の戦略でもあるからだ。

小説のはじめに「体を鍛える」「精神を鍛える」「乞食の練習」「盲と聾の練習」「断食の練習」といった章がある。双子たちは心や体の痛みに耐え、世の中を見る準備運動をしている。人々は「ぼくら」にこんな言葉を投げかける。「〈魔女〉の子!」「淫売の子!」こうした言葉の暴力性を「練習」で慣れっこになるまで繰り返すことで和らげることができる。

「ルール」と「練習」は、彼らが世間に出ていくことを可能にするだけでなく、世間から彼らの内面を守る防具の役目を果たしている。後半、まるでジェットコースターのように過酷な現実が彼らを待ち受けるが、そうした出来事を彼らが生き延びることができたのは、彼らの感情が「練習」によって摩耗したり、麻痺したりしたのではなく、心の奥底に守られていたのだということが、司祭館の若い女中に起こった出来事から推測できる。

 ハヤカワepi文庫版の訳者解説によると、著者アゴタ・クリストフは子供時代というものこそが『悪童日記』のテーマだと言っているということだが、おそろしく残酷で純粋なものが、双子の行動原理の中にある。彼らはあたかものちに起こる過酷な運命を予期していたかのように「ルール」と「練習」で外界を観察し、内面を守ったのである。守られたのは、「子供時代」だったと言ってもいいだろう。その事実は本書の最大の問題点と言っていい「ぼくら」という人称も示唆している。

双子がどれだけ精神的近似性を持っているにしても、こうした人称がつねに可能になるとしたら、それは双子が一心同体であったというより、お互いに他がもう一方に隠れていたからだといったほうがいいかもしれない。もうそろそろはっきり言っていいだろう。「ぼく」といった瞬間に押しつぶされてしまうほどの悲しみと憎しみを彼らは背負わさされていた。怖かった。寂しかった。泣きたかった。けど、「ぼくら」はそうしなかった。「ぼくら」という人称がそうさせなかった。

だから『悪童日記』が、二人が別々になるところで終わるのは、当然のことなのだ。残酷で純粋な子供時代が終わったのである。本書には続編『ふたりの証拠』と『第三の嘘』があるというが、「孤独と悪の問題が主要テーマ」(訳者あとがき)となるのもうなずける。

才人春夫のモチベーション 佐藤春夫『美しき町・西班牙犬の家 他六篇』

 

美しき町・西班牙犬の家 他六篇 (岩波文庫)

美しき町・西班牙犬の家 他六篇 (岩波文庫)

  • 作者:佐藤 春夫
  • 発売日: 1992/08/18
  • メディア: 文庫
 

 本書『美しき町・西班牙犬の犬 他六篇』には表題作など、実に多彩な短編が全部で八篇収録されている。編者はドイツ文学者でエッセイストの池内紀。若くして遺産を手にした青年が友人の画家と老建築家を雇い、理想の町に日夜没頭する「美しき町」、散歩の途中で迷い込んだ雑木林で不思議な家を見つける「西班牙犬の家」など、ファンタジー色の色濃い作品から中国に取材した「星」「李鴻章」、自らの不器用さが仇になり、罪を犯した外科医が語る一人称小説「陳述」、著者の出身地紀州に伝わる山海の怪異を描く随筆風の「山妖海異」など一作ごとスタイルが異なっている。中でもパリに遊学中の無名画家を描いた「F・O・U」はタイトル通り佐藤春夫版『白痴』とも言える傑作。

 収録された作品の中でも生と虚構の関係をアイロニカルに描いた作品が興味深い。「美しき町」の青年富豪は自らの理想を一つの町を建設することで実現させたいという壮大な夢を持って、旧友の画家と老建築家を雇い入れ、ホテルの部屋を借り切って日夜作業にいそしむが、実は青年は富豪ではなく、すでに文無しのペテン師だった。これまでの作業はすべて水泡に帰すが、それでも三人が一つの夢を見た、その事実までは消えることはないし、自分は富豪であり、理想の町を建設できる資金力があるのだという嘘がなければ、彼らが夢を見ることもできなかった。

 生きることは何らかの嘘(虚構)を必要とする。同時に嘘はじわじわとその人の人生を蝕みもする。「F・O・U」もまた、そのあたりの消息を実に見事に描き切っている。パリに遊学する無名画家イシノは高貴な雰囲気を漂わせ、いつも柔和な笑みを浮かべている。あたかも「高貴な人」である。日本に妻子がありながら、フロオランスという女と同棲している。フロオランスは地方に城を持つ由緒ある家柄の娘で、イシノはフロオランスと一緒になるために兄に金を無心したり、娘を自分とフロオランスの正式な娘として迎え、妻を使用人として呼び寄せようとしたりする。正気の沙汰ではない。実のところイシノは何度も精神病院に入退院をくりかえしている。一方のフロオランスも地方に城を持つ有力者の娘というのは嘘で実は街の女だった。嘘(虚構)が彼らの生きる動機になっていた。

 編者がことさら一作ごと趣向の異なる作品を選んだということはあるだろう。それにしてもこの作風の違いは、それだけで驚きだ。まさに「才人春夫」である。しかし、それは決してプラス評価につながっているわけではないようだ。文庫解説には小林秀雄による「佐藤春夫論」の次のような一節が引用されている。「現代、一流作家とよばれている人々の間で、佐藤氏ほどまとまらない作家はないであろう」

 昭和10年、内田百閒の八冊目の作品集『鶴』が刊行されたとき、佐藤春夫は「少々種切れの態に拝察した」(「慷齋先生失眠餘」)と揶揄したが、百閒は「種を早く吐き出してしまわなければ本当のものを作り出せない」(「鶴の二声」)と反論した。これなど両者の作家的資質の違いがよく表れている。

 日本では一途に一つのテーマを探求する作家が評価される傾向にある。「まとまらない」。詩、小説、戯曲、随筆、評論と様々なジャンルで高い水準の作品を残した佐藤春夫だが、多才であることが必ずしも評価につながるわけではないのである。確かにこの短編集を読む限り佐藤春夫に探求すべきテーマがあったとは思えない。「書ける」これが佐藤春夫の最大のモチベーションだったのではないだろうか。「西班牙犬の家」には(夢見心地になることの好きな人の為めの短篇)という副題がついている。夢であれば、当然覚醒もする。醒めたらまた次の夢のために筆を執るまで。佐藤春夫はそんな風に様々なスタイルで書き継いでいったにちがいない。であれば「まとまらない」ことなど些末なことでしかない。(5月13日加筆訂正)

<収録作>

「西班牙犬の家」

「美しき町」

「星」

「陳述」

李鴻章

「月下の再会」

「F・O・U」

「山妖海異」

苦悩と悲しみのかたち 藤枝静男『悲しいだけ・欣求浄土』

 

悲しいだけ 欣求浄土 (講談社文芸文庫)

悲しいだけ 欣求浄土 (講談社文芸文庫)

 

  藤枝静男の短編「一家団欒」を最初に読んだのは集英社文庫筒井康隆選『実験小説名作選』というアンソロジーで、死んだ主人公の章が市営バスで郊外の墓地に出かけ、家族が待つ墓下に自ら入り家族と再会するという話。藤枝静男には奇想天外な『田紳有楽』があるように、「一家団欒」もまた一つの幻想譚として読むこともできる。そうした文脈で十分楽しめる話ではあるのだが、それでは終わらせることができない疑問が残った。今回のレビューはその疑問点から出発する形で書いてみたい。

 僕はこの話を読んで驚いたことが二つある。一つは、作中人物の軸足があの世にあると言うこと。死者との再会というモチーフは笙野頼子の『二百回忌』のように死者がこの世に戻ってくるという形で描かれることが多い。小説の視点人物は生きているのだから、当然と言えば当然のことだ。しかし、「一家団欒」の主人公章はすでに死んでおり、自ら死者の世界に赴き、家族との再会を果たす。もう一つは、この世とあの世がなめらかに接続されており、章は何の困難も手続きもなく、この世からあの世に入っていくという点だ。

 藤枝静男は「一家団欒」においてなぜ幽明の境を描かなかったのか、なぜ主人公が死者としてあの世に赴くという「転倒」した話にしたのか、そこが衝撃でもあり、「一家団欒」を読んだだけでは、解消されない疑問として残るのである。

「一家団欒」は独立した短編ではなく『欣求浄土』という連作短編の中の一篇である。「一家団欒」を連作短編集『欣求浄土』の最後の一篇として読むと、独立した短編として読むのとは全く異なる側面が見えてくる。『欣求浄土』は作者と等身大の主人公章が様々な場所を訪れ、自然の風物や歴史の遺物を見て回る様子がたんたんと描かれる。「欣求浄土」(サロマ湖の砂洲、浜名湖の開口部)、「土中の庭」(沼、遺跡/円形の土の窪)「沼と洞穴」(沼、洞穴)「木と虫と山」(樹齢千年の巨木)「天女御座」(茶の木の巨木)といった具合だ。

 わざわざ一篇の短編にしてまで砂洲、河口、遺跡、沼、洞穴、巨木とったものを見て回ることを描くのにどのような意味があるのか、その時々に主人公章の述懐はあるものの、思いの記述よりは彼の行為そのものに目を向けたい。『欣求浄土』は全部で七篇の短編で構成されており、三つの層に分かれている。

 上にあげた「欣求浄土」から「天女御座」までの第一層。ここでは章が文字通り「浄土」を求めて彷徨する。さらに第二層にあたるのが「厭離穢土」。その冒頭はこうだ。「とうとう章が死んだ」三人称で書かれていたとはいえ、章はそれまで連作短編を通しての視点人物だったわけで、突然登場する「私」なる章の友人とおぼしい人物が登場するのは、違和感がぬぐえない。それはともかく、章は癌で亡くなった。彼の遺したノートの内容が「厭離穢土」である。最後に第三層。死んだ章が墓下で家族と再会する「一家団欒」

 このように見てくると『欣求浄土』という連作短編全体が死者との再会をめざす試みであるかのように思える。「厭離穢土」の中にdas Ekel(嫌悪)という語が出てくる。トーマス・マンの短編「道化者」の基調を成す語として何度も登場する語で、章は「嫌悪の情以外の眼では見ることのできない社会全体に投げつける形容詞として」受け入れたという。嫌悪に満ちた世界は章自身の罪の意識、性的な煩悩の苦しみなどの裏返しであり、世界への嫌悪と自身へのそれは等価である。死の直前に書き残されたノートの告白めく文言は、章がどんな思いを抱えて砂洲、河口、遺跡、沼、洞穴、巨木といった事物を見ていたかを示すと同時に、そうした事物がかたちのない苦悩や悲しみにかたちを与えていたとも言える。

 砂洲、河口、遺跡、沼、洞穴、巨木などが凹型を連想させる(巨木には大きな洞があることが描かれていた)形象であることも示唆的で、死者の世界、他界へと至る過程に必要な現世における準備運動のようなものだったに違いない。だからこそ章は死を経て至る第三層「家族団欒」では、ふだんのお出かけと変わらず「市営バスに乗って」郊外の墓地へ出かけ、そのまま何の苦もなく他界へと入ることができたのである。

『悲しいだけ』では、長く病魔に苦しめられた妻の死と「私」の悲しみが描かれるが、ここでも「私」は見る人であり、外界の様々な形象に投影され、フィードバックされる形で「私」は悲しみの言葉を紡ぐことができる。

「『妻の死が悲しいだけ』という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している。これまでの私の理性的または感覚的の想像とか、死一般についての考えとかが変わったわけではない。(…)ただ、今はひとつの埒もない感覚が、消えるべき苦痛として心中にあるのである。」「今は悲しいだけである」(『悲しいだけ』「悲しいだけ」)

<収録作>

欣求浄土

 「欣求浄土」「土中の庭」「沼と洞穴」「木と虫と山」「天女御座」「厭離穢土」 

 「一家団欒」

『悲しいだけ』

 「滝とビンズル」「在らざるにあらず」「出てこい」「雛祭り」「悲しいだけ」「庭

 の生きものたち」「雉鳩帰る」「半僧坊」

分裂する横光利一 横光利一『機械・春は馬車に乗って』

 

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

 

  2020年は仕事に追われてなかなか読書が進まない1年だったが、横光利一を読んだことが2020年の読書の大きな収穫だった。本棚に積読として眠っていた『機械・春は馬車に乗って』を引っ張り出してきたのは、これまた積読だった筒井康隆編『実験小説名作選』(集英社文庫)に収録されていた短編「ナポレオンと田虫」を読んだこと。今まで横光利一をきちんと読んだことがなかったという事実に愕然とした。それくらいおもしろかったし、日本のモダニズムや近代について考える上で重要な作家だと思った。正直、横光利一と近代、あるいは西洋と東洋といったテーマはたった一冊の短編集を読んだだけの一読者の手に負えるものではないが、本書に収録された短編のうち、印象に残ったものを中心に感じたことをまとめていきたい。

『機械・春は馬車に乗って』には発表順に10編の短編が収録されており、大正13年発表の「御身」から昭和23年発表の「微笑」までは24年の歳月が流れている。その間、作風の変化があることはあたりまえと言えばあたりまえなのだが、横光利一の場合その印象は強く、複数の作家によって書かれた小説を読んでいるような気にさえなった。

 横光利一川端康成らとともに新感覚派と呼ばれたのは文学史上の知識として知っていたが、本書収録の短編でその呼称にふさわしいのは「御身」「ナポレオンと田虫」「春は馬車に乗って」の三編だろう。特に「春は馬車に乗って」は肺病で死期の近い妻と彼女を看病する夫を独特の詩的で人工的な文体で描いている。夫婦の家から見える浜辺の描写「渚では逆巻く濃藍色の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑のように坐っていた」といった表現はその典型である。

 表現や感覚のおもしろさというだけなら、それほど惹かれはしなかったと思う。しかし、「機械」(昭和5年)「時間」(昭和6年)の2編は1930年という早い時期に現れたモダニズム小説としてとても新鮮な驚きを感じた。町工場の主人と工員3人のモザイク模様のように複雑に絡み合う人間関係を意識の流れの手法で描いた「機械」は、篠田一士の解説によると、横光によって「四人称の設定」とされていたようだ。ジョイスの『ユリシーズ』から影響を受けたという。最も早い翻訳が伊藤整らの共訳による1931ー1932年なので、原書を読んでいたということか。一読しそのおもしろさとモダンな感覚に衝撃を受けた。後藤明生そっくりと思ったが、これはもちろん反対で後藤明生横光利一の「機械」を徹底的に読み込み、その世界を自分のものにしていったにちがいない。

 横光利一昭和11年(1936年)に渡欧し半年間欧州各地に滞在した。その体験をもとにして書かれたのが大作『旅愁』だが、本書に収録された短編では「厨房日記」(昭和12年)「罌粟の中」(昭和19年)「微笑」(昭和23年)の3編に梶という欧州滞在を経験した作者の分身のような作中人物が登場する。

「厨房日記」はパリ滞在の体験が詳細に描かれている。そこに登場する作者の分身梶はパリでシュルレアリストの詩人トリスタン・ツァラ夫人の主催するパーティーに招かれ、ツァラらと言葉を交わしている。梶を日本人だと見て、腹切りの意味について質問するご婦人に梶はかなり国粋主義的傾向を感じさせる返答をする。何か気負っているのだ。一方で帰国後の梶は東京銀座の印象についてこう評している。

「あれほど大都会の中心を誇っていた銀座は全く低く汚く見る影もなかった」

 日本と西洋という近代日本の知識人ならだれもがぶつからざるを得ない問題に真っ向から向かい合って、整合性を保つよりむしろ分裂気味でアンビバレントな自己をさらけ出していると言ってもいい。そもそもがいち早く当時流行の文学潮流を捉えて自分の作品に取り入れる進取の気性に富む作家である。それが戦争を迎えて、硬直したかのように国粋主義に傾き、時代に迎合したのは、あるいは横光利一の弱さだったのかもしれないが、そう単純には言えないだろう。

「罌粟の中」はハンガリー滞在時に当地の通訳者兼案内者との交流をやや感傷的に描いている。「陛下のお馬」など時勢を感じさせる表現もあるものの、ここにあるのは気負わない梶の幸せな欧州滞在記だ。ヨーロッパよかったな、楽しかったな、そういう率直な思いが横溢している。

 戦後に発表された「微笑」は、本書の中で最も深刻な分裂が露わになっている気がする。帝大の学生で数学の天才が海軍に所属して新型兵器の開発に関わっている栖方という青年と作家梶の交流が描かれる本作は、敗戦が決定的になっている状況を認識しつつも、栖方の新型兵器に期待する梶がいる。栖方という青年も二律背反を抱え込むような存在として描かれる。母方の実家が代々の勤皇家でありながら、父が左翼運動に獄に入ったり、本人には狂人ではないかという疑いが付きまとっていた。

 戦後、横光利一は「文壇の戦犯」として断罪される。「微笑」がどのような意図で書かれたかわからないが、これを横光利一の「言い訳」とは受け取りたくない。ぼくは天皇の戦争責任をあいまいにしたことが、戦後日本の最大の問題だと考える。戦後、多くの人間が戦犯として罪を問われた。横光利一も例外ではなかったわけだ。しかし、本書に収録された作品を読めば、近代日本の抱える矛盾を作家として目をそらすことなく主題化していたという事実は否定できないし、そうして生み出された小説が実にスリリングなおもしろさとアクチュアルな問題提起をはらんでいるのである。

<収録作>

「御身」

「ナポレオンと田虫」

「春は馬車に乗って」

「時間」

「機械」

「比叡」

「厨房日記」

「睡蓮」

「罌粟の中」

「微笑」

人生を決定づける瞬間 アンダスン(シャーウッド・アンダーソン)『アンダスン短編集』

 

  代表作『ワインズバーグ・オハイオ』で知られるシャーウッド・アンダーソン(アンダスン)の10短篇を収録した新潮文庫の短編集。作家的想像力という言い方をすることがあるが、その方向性や質は作家によって大きく違ってくる。アンダーソンのそれは、年齢、性別、社会的地位などが異なる作中人物を描き分け、人生の一断片を鮮やかに切り取ってみせるという意味で、まさに短編作家的だと言える。

 アンダーソンが描くのは、ごく日常的な生活の一部である。いや、少なくとも出だしはそのように見える。例えばこんなふうだ。

「わたしは田舎にあるわたしの家に来ており、今は十月も下旬になっている。雨が降っている。わたしの家の背後は森で、前面には道路があり、道路の向う側は木のない野っぱらである。このあたりは低い丘がつらなっている所なのだが、それらの丘は突如として平坦になり(…)」(「兄弟たち」)

 こうしたゆったりとした語りは、本書に収録されている短篇におおむね共通のものであり、アンダーソンの奇を衒わない作風を特徴づけているかに見える。しかし、たんたんとした情景描写はいわば準備運動のようなもの、手慣れた釣り人が釣り糸を垂れている情景がのんびりと見えるのと同じで、アンダーソンは獲物がかかるのをじっと待っているのだ。

 人生を決定づける瞬間。おおげさに聞こえるかもしれないが、これがアンダーソンの待っている「獲物」である。作中人物たちは予期せぬ形で彼らの後の人生を決定づけるような出来事に遭遇する。ときにそれは理不尽とも形容できるような暴力性をともなうことさえある。「もう一人の女」は結婚を間近に控えた男の一回限りの情事が描かれる。アンダーソンはいかにも陳腐な出来事でしかない結婚前の情事を、作中人物の男が一生かかっても解けないような謎に魔法のように変えてみせる。

 「灯されないままの明かり」や「悲しいホルン吹き」なども作中人物の意志的な行為や決意より偶然性のほうがより大きくその人の人生を左右するさまが描かれる。こうした認識が人生は思い通りにはいかないものだなどという紋切型に堕さないのは、アンダーソンが見出している人生観に描かれない超越性のようなもの、理屈では割り切れないものがあるからだと思えて仕方がない。

 本書に収録されている10編のうち、競馬物と言える短編が2編ある。「そのわけが知りたい」と「女になった男」である。おそらくアンダーソンには競馬に夢中になった一時期があったのだろうと推測されるほど、他の短篇に比べて熱量が高い2編は、さきほど言及した超越性に関わって重要な示唆を与えてくれる。

「そのわけが知りたい」は競馬に夢中の少年が競馬馬と気持ちが通じ合っていると信じる話。それ自体なんのふしぎもないが、彼以外に調教師の男もそうだと思い、その男に強い親近感を抱くのだが、その調教師の馬がレースで勝ったその晩、調教師の男が薄汚い場末の女郎屋で女を買うのを知るに及んで逆上する。この逆上はまったく筋が通らない。馬とたがいに気持ちをわかり合っている調教師がだからといって女を買ってはいけない理由がないからだ。

 主人公の少年は言う。「それ以来わたしはずっとあの時のことをかんがえていた」「なんだってあいつはあんなことをしたのだろうか? わたしはそのわけが知りたい」この問いかけに答えはない。しかし、それをそのわけが知りたいと念じる作中人物の中では明らかに何かそこに「つながる」ものがあるのだ。それは日常性を超えたものでなければならない。たとえこの問いかけが空振りに終わるとしても、こうした一見理屈に合わない問いかけを重ねることが、おそらくアンダーソンという作家創作に関わって重要なことなのだ。

 ぼくが本書でもっとも衝撃を受けたのはもう一つの競馬物「女になった男」である。この短篇にはこれまでに挙げたアンダーソンの特徴がすべて完璧な形で出そろっている。競馬馬の世話をしている若者が興行先の村の居酒屋と馬小屋に帰ってから遭遇する恐怖体験を描く「女になった男」は、ぼくのとぼしい読書体験でいうなら、村上春樹の「眠り」(『TVピープル』所収)やレイモンド・カーヴァーの「足元に流れる深い川」(『Caver's dozen-レイモンド・カーヴァー傑作選』所収)を読んだ時に受けたショック以上のものを感じた。村上春樹レイモンド・カーヴァーの短篇を挙げたのは、いずれも男性作家が女性視点で女性の受難を描いているという点、そして、出来事そのものがだれにも理解されないという孤独、そうしたモチーフが共通しているからである。正確にいうと「女になった男」で恐怖体験をするのは男である。小柄な体格である男が女に間違えらて襲われるのである。ここにはアンダーソンという作家の性別や階層を超えた想像力の質が端的に表れている。瞬時に男を女に変えてみせるのだ。さらに馬という動物の受難(屠殺場跡に散らばる家畜たちの骨)も見え隠れしているという点でも特異だ。

 アンダーソンの短篇は、作中人物にとって決定的な瞬間が唐突に顕在化する。それがリアルに感じられるのは、作中に読者にはたどれない理屈の回路が張り巡らされているからにちがいない。

<収録作>

「卵」

「兄弟たち」

「もう一人の女」

「そのわけが知りたい」

「灯されないままの明かり」

「悲しいホルン吹きたち」

「女になった男」

「森の中での死」

「南部で逢った人」

「トウモロコシ蒔き」

入れ物としての古典 太宰治『お伽草紙』

 

お伽草紙 (新潮文庫)

お伽草紙 (新潮文庫)

 

  恥ずかしいという感情が太宰治の基調を成している。生きること、存在することそのものが恥ずかしい。その恥ずかしさをキャラ化したような『人間失格』などの作品が書かれる一方で、『お伽草紙』をはじめとする古典に取材した作品も多い。後者は『西鶴諸国ばなし』や『御伽草子』の翻案物であり、恥ずかしがる作家太宰は登場しない。

 古典という容量の大きい入れ物を得て、言い換えれば、古典の世界を隠れみのにして、恥ずかしがる作家とは別人のような自由でのびのびとした、ときに辛辣な作品世界を形作っている。

 新潮文庫の『お伽草紙』に収録されている作品の中でも抜きんでておもしろいのが「盲人独笑」という短編だ。江戸時代の終わりから明治期にかけて活躍した盲人の筝曲家葛原勾当が遺した『葛原勾当日記』がもとになっている。

「これは必ずしも、故人の日記、そのままの姿では無い。ゆるして、いただきたい。かれが天稟の楽人なら、われも不羈の作家である。七百頁の『葛原勾当日記』のわずかに四十分の一、青春二十六歳、多感の一年間だけを、抜き書きした形であるが、内容に於いて、四十余年間の日記の全生命を伝え得たつもりである。無礼千万ながら、私がそのように細工してしまった」

 太宰はこのように「あとがき」に書いている。どこが「細工」されているのかも、「細工」の意図も明かしている。「ただならぬ共感を覚えたから、こそ、細工をほどこしてみたくなったのだ。そこに記されてある日々の思いは、他ならぬ私の姿だ」

 本文から立ちのぼる葛原勾当のいらだちや不如意に太宰のそれが重なる。決してそれと名指しされているわけではないが、やはり「盲人独笑」には太宰の「恥」の印がつけられている。ただそれがあからさまではないだけ、作品に奥行きがある。太宰による種明かしは、日記が葛原勾当個人の手になるものだからであるが、『聊斎志異』『西鶴諸国ばなし』『御伽草子』といった古典を下敷きにした場合は、さらに自由奔放に想像力を巡らせている。

 太宰の「お伽草紙」は「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」があるが、中でも「カチカチ山」の狸(中年男)のいやらしさと兎(少女)の冷酷非情の対比、「舌切雀」の雀の可憐さ、「浦島さん」のSF的海底描写など、大胆で奔放な太宰の姿は、「恥ずかしがる作家」の影も形もないと言っていい(勝手な想像だが江國香織の『ぼくの小鳥ちゃん』は太宰版「舌切雀」にインスパイアされているのではないだろうか)。

 古典がすばらしいのは、やはりその容量の大きさだと思う。生きづらさを抱えた天才が、その世界に身を預け、それに依拠した形で古典の世界を再創造するとき、逆説的だが、作家太宰治は自分を忘れ、同時に最も自分を(自分の書きたいことを)表現できたのではないだろうか。太宰はきっと恐ろしく純情なのだ。

<収録作>

盲人独笑

清貧譚

新釈諸国噺

 「貧の意地」「大力」「猿塚」「人魚の海」「破産」「裸川」「義理」「女賊」「赤い太鼓」「粋人」「遊興戒」「吉野山

竹青

お伽草紙

 「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」