「物語」と「文学」のあいだ  大塚英志『物語の体操』

「みるみる小説が書ける6つのレッスン」と副題の付された本書は、大塚英志が専門学校で担当していた講義もとにしていて、以下のような人々を読者として想定しているという。
1.『公募ガイド』の類を買って小説の新人賞に応募しようと思ったことが
  ある。
2.新聞や文芸誌に載っている「あなたの原稿を本にします」なる広告がと
  ても気になっている。
3.小説家養成コースのある専門学校にうっかり入学してしまったか、ある
  いは入学しようと思っている。
 かつてぼくも小説を書きたいという希望を持って、芸大の文芸学科に入学した口で、小説といえるようなものは、結局書けなかった、そういう人間だから、「小説という制度の下部構造を形成するとても大切な存在」なわけだ。とはいえ、読むだけでは飽き足らず、いまだに書きたいという思いが強くなるときがある。それは年に決まって巡ってくる季節のようなもの。
 書けないのは、なぜか。それは物語、お話を作る技術がないせいだ。このように考えた大塚は「小説を書く行為を徹底してマニュアル化」しようとする。タロットカードを応用した物語作りの練習とか、村上龍の小説の設定だけ借りて小説を書くとか、すごく実用的に書かれている一方で、大塚が試みているのは、文学を開いてしまうことで、逆説的に文学に近づこうとする批評的行為でもある。小説の書き方をマニュアル化し、だれでも小説が書けるようになっても、何か「特別なもの」は残るのか。「ぼくはそれが『文学』だ、仮にと言われても素直に納得できる」と大塚はいう。
 ウラジミール・プロップの物語論、「依頼と代行」「貴種流離譚」「往還譚」「成長」といった物語の基本をレッスン1からたどることは、やはり一種の「物語」、失われた「文学」を探す折り目正しいビルドゥングスロマンを読むことにひとしい。そういう意味で感動的な本だし、読むと書きたい虫がおさまるというのは、物語の効用かな。