英米文学

瞬間をとらえる ヴァージニア・ウルフ『壁のしみ 短編集』

壁のしみ―短編集 (ヴァージニア・ウルフ・コレクション)作者:ヴァージニア ウルフみすず書房Amazon ヴァージニア・ウルフの代表作『燈台へ』や『ダロウェイ夫人』は、ごく平凡な日常を思わせることばで始まる。「ええ、もちろんよ、あしたお天気さえよければ…

意外な奥行 マラマッド『マラマッド短編集』

魔法の樽 他十二篇 (岩波文庫)作者:マラマッド岩波書店Amazon 新潮文庫の『マラマッド短編集』(加島祥造訳)はマラマッドの最初の短編集である『魔法の樽』の全訳。あまり期待せずに読み始めて、「あれっ」てなって、気がついたら「読んでよかった」になっ…

神話としてのベースボール ラードナー『ラードナー傑作短篇集』

アリバイ・アイク: ラードナー傑作選 (新潮文庫)作者:ラードナー,リング新潮社Amazon 野球というスポーツが好きだ。ベースボールではなく、野球。その昔、藤井寺球場という球場があって、近鉄バファローズというチームがあった。ぼくはそこで野茂も松坂もイ…

19世紀娯楽小説のすごみ ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』

デイヴィッド・コパフィールド(1) (新潮文庫)作者:チャールズ ディケンズ新潮社Amazon『ライ麦畑でつかまえて』の冒頭、ホールデンは自分の幼少期はどうだったとか、自分が生まれる前、両親は何をしていたかとか、そんなデイヴィッド・コパフィールドみた…

さよならを言うのは難しい レイモンド・チャンドラー『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』

長いお別れ ハヤカワ・ミステリ文庫 HM 7作者:レイモンド・ チャンドラー,清水 俊二早川書房Amazon「おれたちにはパリがある」 映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードのセリフだ。抵抗運動の指導者である男は、ナチの手を逃れ、仏領モロッコにやって来…

迂回の果てに カズオ・イシグロ『充たされざる者』

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)作者:カズオ イシグロ早川書房Amazon カズオ・イシグロといえば、各国でベストセラーになった『わたしを離さないで』を思い出す人も多いだろう。あるいは、ブッカー賞受賞作『日の名残り』。ぼくは本書『充たされざる者』以…

書物と世界の関係 その2 スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』

黒い時計の旅 (白水uブックス)作者:スティーヴ エリクソン白水社Amazon 柴田元幸印とでもいうか、柴田さんが訳してるんだから間違いないだろうと思って本を手に取ることがある。ポール・オースターとか、スティーヴン・ミルハウザーなんかがそうだった。ステ…

書物と世界の関係 その1 フィリップ・K・ディック『高い城の男』

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)作者:フィリップ・K・ディック早川書房Amazon「もう一つの事実」 これはトランプ大統領就任式の際、聴衆の数をめぐって飛び出した発言だ。明らかに聴衆が少なかったのに、大統領報道官は「過去最大の聴衆だった」とした。こ…

「人生というものは…」 マンスフィールド『マンスフィールド短編集』

マンスフィールド短編集 (新潮文庫)作者:マンスフィールド新潮社Amazon 長編作家、短編作家という言い方があるけど、マンスフィールドは典型的な短編作家だ。ニュージーランド出身で、ロンドンに留学後イギリスで作品を発表した。34歳という若さで病没するま…

少年の世界 その3 ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』

蠅の王 (新潮文庫)作者:ウィリアム・ゴールディング新潮社Amazon ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』を読んだついでに、その裏バージョンとも言える『蠅の王』を手に取ったのだけど、「ついで」で読むような気軽な本ではなかった。 時は近未来。第三次…

パリという入れ物 ヘンリー・ミラー『北回帰線』

北回帰線 (新潮文庫)作者:ヘンリー ミラー新潮社Amazon『北回帰線』は、ヘンリー・ミラーが1930年代のパリを放浪した体験をもとにした自伝的処女作であると言ったところで、何を説明したことにもならないだろう。松岡正剛は書評サイト「千夜千冊」意表篇649…

分裂する小説世界 アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』

そして誰もいなくなった (クリスティー文庫)作者:アガサ・クリスティー,青木 久惠早川書房Amazon アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』は、推理小説として破格だ。アガサ・クリスティーと言えば、エルキュール・ポアロやミス・マープルなどの探…

運命という見えない力 トマス・ハーディ『呪われた腕 ハーディ傑作選』

呪われた腕: ハーディ傑作選 (新潮文庫)作者:ハーディ,トマス新潮社Amazon「ハーディを読んでいると小説が書きたくなる」という村上春樹の言葉が、ハーディの短編の魅力を端的に語っていると思う。新潮文庫の復刻・新訳シリーズ「村上柴田翻訳堂」の一冊で、…

もし雪白姫が『草枕』を読んだら ドナルド・バーセルミ『雪白姫』

雪白姫 (白水Uブックス)作者:ドナルド バーセルミ白水社Amazon「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるんでしょうね」 「なあに、ドナルド・バーセルミの『雪白姫』というんですがね、大したことは書かいちゃありません」 「じゃ、何が書いてあるんです…

ホールデンは生き残れないのか J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)作者:J.D. サリンジャー白水社Amazon ぼくが最初にこの本を読んだのは、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』だったわけだが、それは学生時代のことだから、それこそ20年ぶりの再読ってことになる…

あの夏を抱えて カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』

結婚式のメンバー (新潮文庫)作者:マッカラーズ,カーソン新潮社Amazon「こんな変な小説、読んだことがない」というのが、最初の感想だ。カーソン・マッカラーズという作家の名さえろくに知らず、名著の新訳・復刊を目指す新潮文庫の新シリーズ「村上柴田翻訳…

ふたつの悲しみ トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』

ティファニーで朝食を (新潮文庫)作者:トルーマン カポーティ新潮社Amazon『ティファニーで朝食を』をと言えば、オードリー・ヘップバーン主演の映画を思い浮かべる人が多いにちがいない。龍口直太郎訳の新潮文庫の表紙は、ホリー・ゴライトリーに扮するヘッ…

辺境としてのダブリン ジョイス『ダブリン市民(ダブリナーズ)』

ダブリナーズ (新潮文庫)作者:ジェイムズ ジョイス新潮社Amazon 20世紀文学に決定的な影響を与えたジェイムズ・ジョイスの代表作と言えば、『ユリシーズ』。「意識の流れ」という手法のイメージが強いジョイスだが、短編集『ダブリン市民』は、読みやすいリ…

蝶と幻 ウラジーミル・ナボコフ『ナボコフの一ダース』

ナボコフの一ダース (ちくま文庫)作者:ウラジミール ナボコフ筑摩書房Amazon ナボコフと言えば、問題作『ロリータ』で知られる20世紀を代表する作家。その他の作品も最近は岩波文庫や光文社古典新訳文庫で簡単に手に入るが、「難解」なイメージがある。本書…

時間というオブセッション J・G・バラード『ザ・ベスト・オブ・バラード』

ザ・ベスト・オブ・バラード (ちくま文庫)作者:J.G. バラード筑摩書房Amazon『ザ・ベスト・オブ・バラード』は1960年代に人間の精神世界(インナー・スペース)をSF小説に取り入れ、ニューウェーブと呼ばれたJ・G・バラードの自選短編集(原著は17篇だが、日…

「人間」の終わり その2 グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』

ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)作者:グレッグ・ベア,小川 隆早川書房Amazon サイバーパンク第2弾はグレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』。前回紹介した『ニューロマンサー』は電脳世界を駆け抜けるSF的冒険活劇とでもいうスリルとサスペン…

「人間」の終わり その1 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)早川書房Amazon ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』といえば、80年代SFの新潮流であるサイバーパンクの代名詞。今読むと、映画や小説などいかに多くのジャンルを超えた作品が、『ニューロマンサー』の影響下にあ…

犬が語る年代記 クリフォード・D・シマック『都市』

都市 (ハヤカワ文庫 SF 205)作者:クリフォード D.シマック早川書房Amazon「これは、火があかあかと燃え、北風が吹きすさぶとき、犬の物語る話の数々です。どこの家庭でも、みんな炉ばたにつどい、小犬たちは黙々と坐って、話に耳をかたむけ、話が終わるとい…

「お話して!」 スティーブンソン『宝島』

宝島 (新潮文庫)作者:スティーヴンソン,直次郎, 佐々木,秀夫, 稲沢,Robert Louis Stevenson新潮社Amazon 本の最初のページを開き、読み始めるときのわくわく。それはきっと大人に「なにか、お話して!」とせがみ、いよいよ始まるというあのわくわくと同じだ…

「力」を失って見えたもの ル=グウィン『帰還 ゲド戦記 最後の書』

帰還作者:アーシュラ・K・ル=グウィン岩波書店Amazon大きなショックとともに『帰還 ゲド戦記 最後の書』(原題Tehanu, The Last Book of Earthsea)を読み終えた。ゲド戦記シリーズは1968年から72年の間に第1巻から第3巻までが発表されている。しかし、本書…

死と魔法 ル=グウィン『さいはての島へ ゲド戦記3』

さいはての島へ: ゲド戦記 3 (岩波少年文庫)作者:アーシュラ・K. ル=グウィン岩波書店Amazon大賢人となったゲドが院長を務める魔法の学院に多島海域の各地からまじない師が呪文を忘れたり、魔法が効かなくなったりするという報告がもたらされていた。ゲドは…

二元論を超える ル=グウィン『こわれた腕環 ゲド戦記2』

こわれた腕環: ゲド戦記 2 (岩波少年文庫)作者:アーシュラ・K. ル=グウィン岩波書店Amazon カルガド帝国のアチュアンの墓所の大巫女が死ぬと、周辺の町や村から同じ日の夜に生まれた女の子が探し出され、墓所の大巫女になるべく連れてこられる。5歳の女の子…

見届ける力 ル=グウィン『影との戦い ゲド戦記1』

影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫)作者:アーシュラ・K. ル=グウィン岩波書店Amazon『ゲド戦記』は、アーシュラ・K・ル=グウィンによって1968年から2001年にかけて発表されたファンタジーの連作。その第1作にあたる『影との戦い』は、アースシーの光と…

リアリズム小説の完成形 アイリス・マードック『鐘』

鐘 (集英社文庫)作者:アイリス・マードック集英社Amazon イングランド南西部グロスタシャーの森と湖に囲まれた僧院のかたわらで、信仰生活を営む一般人のための修道会。古文書研究のため修道会に滞在している美術史家で夫のポールのもとへ妻ドーラもやってき…

悪の自覚 ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』

鳩の翼(上) (講談社文芸文庫)作者:ヘンリー・ジェイムズ講談社Amazon ヘンリー・ジェイムズといえば、『デイジー・ミラー』などのいわゆる国際状況ものや奇妙な幽霊譚『ねじの回転』などで知られ、カフカやプルーストに代表される20世紀文学の先駆的存在なん…